2012年当時、最大の課題は、福島事故の完全な収束であった。具体的には汚染水の処理問題が喫緊の課題だった。しかし、規制委は、規制基準の策定を最優先し、最低2年は必要と言われる中で約半年という短期間で規制基準を作った。これは、規制基準がないと審査ができず、原発再稼働ができないからだ。その結果、汚染水問題は放置された。
今回、志賀原発で大事故が起きなかったのは本当に幸いだった。だが、それで喜んでいるわけにはいかない。
現にさまざまなトラブルが原発内で生じ、また周辺道路も一時通行ができなくなった。震源が少しずれていれば、もしかすると大惨事になっていたかもしれない。
住民の反対で頓挫した珠洲原発の建設計画も、当時は地震でも大丈夫だという話だった。もし、計画が実現して珠洲で原発が稼働していたら、壊滅的な被害が生じ、周辺住民は避難できず大惨事となっていたことだろう。
今回の地震に際し、マスコミには当初、原発周辺の現場に足を運んで取材する様子が見られず、1月5日ごろになるとようやく写真などが報じられるようになったが、報道としては極めて小さな扱いでしかなかった。
忖度しているのかなと思ってテレビ局の複数のディレクターなどに聞くと、驚くべきことに、スタッフで原発のことを気にかけていた人はほとんどいなかったという話だった。原発にカメラを出そうと提案をしても、人手もカメラも足りない中で、原発にカメラを出してどうするのだと言われるだけだと最初から諦めたという人もいた。忖度でもなんでもない。ことの重大性の理解がないのだ。報道の劣化が如実に表れた場面である。その結果、原発関連のニュースは今も極端に少ないという状況が続いている。
これは、政府や電力会社にとっては嬉しい話だ。
今頃、志賀原発では、敷地内で亀裂や段差の修復や故障した機器の復旧が進んでいるだろう。周辺道路の修復も優先して行われるはずだ。
その結果、1カ月も経たないうちに、志賀原発は、一見何事もなかったかのような外見に戻る。2月になれば、北陸電力の方から、現地を撮影してくださいという案内があるかもしれない。大被害を出した能登半島地震でも、ほとんど無傷だった志賀原発という絵が流れれば、原発再稼働に追い風が吹く。