その翌1855年には、江戸でマグニチュード7クラス(同)の大地震が起きる。大都会での震災は火災に苦しめられ(吉原では閉じ込められていた遊女が火災で600人以上亡くなった)、「お救い小屋」が設置されたのは3日後だったが、江戸の町方人口の5%にあたる2700人が入所したという。さらに地震の10日後から約1週間で20万人以上にお握りが配られ、さらに38万1200人に「お救い米」が配布された。38万1200人とは当時の江戸人口の7割である。

 なにそれ……である。誰が20万人分のお握りを握ったの? お握り工場もないのに、電気もガスもないのに、大型輸送車もないのに……と思うが、こういう震災後の支援対策にもマニュアルがあったという。「お救い小屋」とは室町時代からあり、「お救い米」の配布も当時の救済マニュアルに基づいて行われていた。

 つくづく思う。助けられる命を救うために権力はあるのだ、と。だからこそ、こんな地震大国の為政者の重要な役割とは「天災への備え」であろう。……で、やっぱり疑わずにはいられない。江戸時代の為政者のほうがよほど、今の為政者よりもずっと備えてはいませんか。というか、備えていました? 馳さん? 岸田さん?

 能登半島ではここ数年、地震が続いていたという。もし大地震が起きたら、半島の細い道は遮断されることなど簡単にわかることだろう。津波で海路が使えないことも、空港が地割れで使えなくなることも想像できることだろう。というか、これほどの規模の地震を「想定していなかった」としたら、それこそ怖い。福島の原発事故も「これほどの津波を想定していなかった」(想定する研究はあっても東電も政府も耳を貸さなかった)ために、人類史上最大級の放射能事故を起こした。最悪の想定をして備えるべきであることを、私たちは残酷な犠牲を払い知ったはずだ。それなのに大地震の想定を甘くみつもり(またはせず)、原発再稼働や新設に意欲を燃やす一方で、大震災が起きたときに迅速に人の命と生活を守ることができないのなら、それはこの国の為政者としての資格がないということではないか。

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命を救うために権力はある