──続けてこられた理由は何だと思いますか?
実は私、大学生の頃は、地元の放送局の試験を受けようと思ってたんです。自分の目と耳で見聞きする仕事に憧れがあって、そういう仕事ができたら最高だなと。芸能の仕事も、自分の目と耳をフル活用する仕事だったから、楽しんでこられたのかもしれません。
この仕事の醍醐味は、仕事を通じて、いろんな人に出会えて、いろんなところに行けること。そして、自分とは違う何人もの人生を、時代を超えて演じることができること。諦めそうになることもあったけれど、なかなか他にこんな経験ができる仕事ってない。だったら続けない手はないと思って続けてきました。もしあの時、「週刊朝日」の表紙になってなかったら、熊本で普通のお母さんをやってたでしょうし、今頃は孫もいるかもしれない。今思うと、人生には何度か「えいや」ってジャンプする時期があるのかなって。そんなジャンプを繰り返してきたのかもしれません。
──昨年“還暦ビキニ”が話題をさらいました。
アハハハ。本当はそんな意図じゃなくて、最初は気取った感じのファッションでいこうと思ってたんですよ。それがまさかのビキニに……。もともとカレンダーは、楽屋での雑談から生まれた思い付きなんです。カレンダーはこれまで出したことがなかったから、やってみようかって。撮っていただくのは、篠山さん以外には考えられなくて、オファーしたら快諾してくださって。ただ、撮影日が2週間後に決まっちゃって、ロケ地は九十九里というんです。カレンダーは、四季を表さないといけないでしょう? だから「海に行くような格好もあるよ」と言われたんです。その時「どんな格好?」とは思ったけど、深くは考えてなくて。そしたら撮影1週間前の衣装合わせで、水着が何点も出てきて……。いろんな意味で、ちょっと無理でした(笑)。綺麗と言っていただけるなら、篠山さんの魔法のレンズの力です。撮影後は、とにかく「痛い感じのおばさんの写真になっていませんように」という思いだけでした。
──反響を受けていかがでしたか?
この反響は誰も予想してなかったと思います。事務所でも「水着」というと、冗談だと思われて、プッと笑われてましたから。私、ミノルタのCMの時に着た水着をまだ持ってるんです。だからと言って、それを着られるかどうかは別の問題なんだけど、「あの水着をまだ持ってる」って言ってもみんな相手にしてくれなかった(笑)。そりゃあそうですよね。