「初代王者の松尾(清三)さんがビルの上で踊る姿に釘付けになりました。当時小学校6年生だった自分は『俺も踊りたい!』と思って。冗談ではなく、松尾さんが踊らなかったら、僕はウルトラを目指してないです。そのくらいの衝撃でした」
長戸さんは出場資格(18歳以上)を得た第8回大会から出場し始めたが、第12回大会まで全て予選敗退。しかし、最後に出場した第13回大会で悲願の優勝を果たす。
この大会は、ファンの間でも「伝説の神回」として名高く、クイズ研の若いプレーヤーたちが全身全霊をかけた熾烈(しれつ)な戦いを繰り広げた。巨大なコンボイ6台を走らせ、ヘリコプターで空撮した「爆走!! コンボイリレークイズ」や、お互い一歩も譲らず、用意された問題を使い果たしてしまうほどの長丁場となった準決勝「激戦!! 通せんぼクイズ」など、数々の名場面を生み出した。
てれびのスキマこと戸部田誠さんは、昨年10月、この第13回大会を中心に、当事者たちの青春群像劇を描いた『史上最大の木曜日 クイズっ子たちの青春記1980-1989』を上梓した。
「役者ぞろいで、まるで青春ドラマを見ているようでした。毎週『何かが起こりそう』という期待感がありましたね」(戸部田さん)
ウルトラに代表されるように、1960~80年代は、視聴者参加型クイズ番組の時代だった。そのほかにも、「アップダウンクイズ」(63~85年)、「クイズタイムショック」(69~86年)、「パネルクイズアタック25」(75~2021年)などが放送され、80年代末から90年代前半には「クイズ王ブーム」が巻き起こる。
■時代の寵児クイズノック
しかし、この時代は長くは続かなかった。バブルが崩壊し、クイズ番組の予算は縮小。92年にはウルトラも放送を終える(98年、特番で復活)。
ウルトラに魅了されたクイズプレーヤーたちは目指すべき場所を失った。前出の大門さんは、まさにこの「ロスジェネ世代」(74年前後生まれ)だ。