寺山修司没後40年記念/紀伊國屋ホール開場60周年記念公演『三上博史 歌劇 ―私さえも、私自身がつくり出した一片の物語の主人公にすぎない―』(作:寺山修司  演出・音楽・美術:J・A・シーザー 出演:三上博史 )は、紀伊國屋ホールにて2024年1月9日(火)~14日(日)上演
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「普通」であることへの憧れ

 ただ、昔からずっと「普通の人でいたい」「普通の生活をしてみたい」という“普通に対する憧れ”はありました。例えば、2階建てのアパートで、錆びた階段をカンカンカンって上がっていって、その一番奥の部屋に表札がかかってて、表には自分の軽(自動車)が止めてあって、それに乗って買い物するとか――。そういう生活に憧れていた。

 僕のことを知らない人が多いであろう、海外に住んでいた時期も長かった。でも、世界中どこにでも日本人はいるんですよ。パリのカフェでお茶していたときに、日本人の3人組の女性が現れて、「これはバレるな」と思って、すぐに支払いをして店を出たり、そんなことをずっと続けていました。

 一方で、こうも思う。いくら顔と名前を知られたとしても、僕の心の中までは誰も覗けない。どんなに仲が良くなっても、その人の本当の心の中まではわからないんです。

 それは、暗黙の信頼関係でもあると思うんです。だから僕も、相手に対して、「この人はこういう人だから」というふうに決めつけず、謙虚な気持ちを持っていたい。

「そこまでやらなくても」をやる

――さまざまな国に住み、仕事があるときに日本に帰国するという生活スタイルは、負担ではなかったのか。

三上 この話をすると、「あんなに作品に出ていて忙しかったのに」と言われたりしますが、一番忙しかったときでも連続ドラマが年に1本、映画も年に1本ぐらいのペースだったので、作品に入っている期間は半年程度なんです。あとは音楽活動を除いて、演じる仕事以外はしなかったので暇でした。

 海外に住み、例えばコインランドリーに行って、「今日は乾燥機まで回そうかな」って考えたりする“普通の生活”が楽しかった。

 でも、ここ数年で「普通は無理なんだ」って気づきました。なんだろうな。やっぱり違う仕事なんだ、って思ったんですよ。普通の人は「そこまで表現しなくてもいいでしょう」と思うのかもしれないけれど、僕は役者で、「そこまでやらなくても」というところまでやってしまう性分です。そしてそこは譲れない。だから、「普通は無理」なんです。

 これはネガティブな気づきではなく、やるべきことがはっきりしたと捉えているんです。(構成/ライター・小松香里)

【後編:三上博史「ひっそり山暮らし」の幸せ 「人様に晒す姿じゃない」に苦しんだ40代を超えられた理由へ続く】

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