応仁・文明の乱の戦火も免れたクスノキ=京都市東山区

他の戦と同じ権力争い

「確かに応仁・文明の乱は関ケ原の戦いと比較しても、誰と誰が、何を目的として戦ったのかが見えにくいと思われがちです」と大薮さん。だが、それほど難しくないそうだ。

「シンプルに言うと足利将軍+将軍家を支える細川グループ対、山名をはじめとした抵抗勢力の権力争いです」(大薮さん)

 かつて学校で教わったであろう家督争いや日野富子が暗躍していたなどの説は今は否定されている。権力争いと捉えると他の戦とそれほど変わりはない。関ケ原の戦いも基本は徳川対三成で、途中、小早川秀秋の寝返りがあるが、基本はこの二者の戦いである。近代に目を移せば、戊辰戦争も新政府軍対旧江戸幕府軍という対立構造であり、応仁・文明の乱も同じ構造だ。

 なぜ応仁・文明の乱はわかりにくいと思われているのか。

「あまり有名ではない人物が多く登場することに加え、後世に書かれた軍記物や江戸時代の誤った解釈が人々に広まり、その解釈をもとに学校で教えられてきたのが要因の一つです」

清水寺の本堂下で見つかった焼け土層。調査員が指し示す赤っぽい部分が応仁の乱の火災跡とみられる=京都市東山区、2012年

 さらに戦乱が京という中枢で起こったことでさまざまな記録が日記として残っていることも、状況をさらに複雑にしている。というのは日記には事実も根拠のないうわさも書き留められているからだ。

「事実かどうか疑わしいものもありますが、多くの記録があることで応仁・文明の乱を再現することの可能性が高くもなります」

 その上で、将軍・足利義政の葛藤、寺院や僧侶の陰の動き、公家の混乱、そして民の恐怖など、映像として描くシーンは数々あるので、応仁・文明の乱は大河ドラマのテーマとして事欠かないとも解説する。

「今は応仁・文明の乱に関しての研究が進み、事実関係も整理されているので、わかりやすく描けると思いますね」

 そう大薮さんは期待を寄せる。(ライター・鮎川哲也)

AERA 2023年12月25日号より抜粋

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