日記に「今日は死ぬかも」

 医師たちの身も安全ではなかった。休むのは、床に敷いた薄いマットレスや寝袋で。戦闘休止前の11月23日と再開後の12月1日は、すぐ近くで激しい空爆が止まることなく続いたという。

「スマートフォンの日記に『さすがに今日は死ぬかもしれない』と書き込み、覚悟を決めました。高校生の頃にこの道を志し、家族には心配をかけているけれど、わかってくれていると思います」

 過酷な日々だったが、同月24日から7日間の戦闘の一時停止中は、朝から子どもたちが駆け回るにぎやかな声が聞こえ、笑顔で一緒に写真を撮ることもできたという。

一時停戦中に宿舎近くで避難生活を送る子どもたちとお絵描きして遊ぶ中嶋優子医師(左)=11月29日。戦闘が一時停止した7日間は朝から子どもたちが駆け回るにぎやかな声が聞こえたという(写真/国境なき医師団提供)

「子どもたちや現地の人たちは、日本人だと知ると『そんな安全で素敵な国から、よくこんな大変な状況の私たちの国に来てくれたね』と喜んでくれました」

水や食糧、医薬品が搬入できない

 イスラエルとイスラム組織ハマスの戦闘による死者は、双方の発表によると、計1万7千人を超える(12月7日現在)。中嶋さんとともに会見に出席した国境なき医師団日本の村田慎二郎事務局長は、こう訴えた。

「イスラエル政府は軍事作戦を開始した当初から、人が生きていく上で必要な水、食糧、燃料、医薬品などの搬入を禁止している。国際人道法上、それは戦争犯罪です。一時的な休戦ではなく、持続的な停戦こそが、さらなる何千人もの民間人の命を救う唯一の方法です」

なかじま・ゆうこ/1975年生まれ、東京都出身。札幌医科大学卒業。救急医・麻酔科医として2009年にMSFに参画。米国医師国家資格を持つ。22年3月から国境なき医師団日本の会長。11月14日から12月7日まで、パレスチナ自治区ガザ地区で治療にあたり、12月13日に東京都内で会見した(撮影/編集部・古田真梨子)

 中嶋さんがガザを離れたのは、12月7日。身の危険を感じながら、現地スタッフに最後のお別れを言うこともできないままの出発だったという。

「私には、帰る場所と選択肢があるけれど、現地の人たちはみんなひたすらに耐えている。私ができることは、証言を続け、即時かつ継続的な停戦を訴え続けることだと思っています」

(編集部・古田真梨子)

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