イスラエル軍とイスラム組織ハマスの戦闘が始まってから2カ月が過ぎた。イスラエル軍の激しい攻撃が続くパレスチナ自治区ガザで緊急援助チームの一員として治療にあたった「国境なき医師団(MSF)」の医師、中嶋優子さん(48)が帰国し、12月13日の会見で現地の厳しい状況を語った。
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継続した治療難しかった
派遣要請があったのは、10月7日にハマスの最初の攻撃があった6日後。英語が話せる麻酔科医の募集を知り、すぐに手を挙げたという。フランスやベルギーの医師ら計13人からなる医師団の1人として派遣が決まると、現在勤務している米国アトランタの病院の勤務は同僚たちに交代してもらい、同30日深夜、経由地のカイロに到着。現地入りの交渉は難航したものの、11月14日にエジプトとガザ地区の境界にあるラファ検問所を通じて、南部の最大都市ハンユニスのナセル病院に入ることができたという。
「空爆は日を追うごとに激しくなって、病院は常にキャパシティーを超えていました。オペ室は満室で、床の上で治療せざるを得なくなり、注射器が足りず、消毒も不十分で、ガーゼ交換が十分にできなかったり、抗生剤が限られていたりして、継続した治療が難しかった。風邪や感染性の胃腸炎なども伝播(でんぱ)しやすい状況にありました」(中嶋さん)
ガザで初めて知った言葉
ナセル病院は10月7日以降、5166人の負傷者と1468人の到着時死亡の患者を受け入れているが、亡くなった人の7割が女性と子どもだった。日本では考えられないような症例を何度も目の当たりにしたという。
「10歳の女の子は、足の骨が粉々になり、もう足を切断しなければならなかったけれど、手術に同意をしてくれる家族がひとりも生き残っていなくて……。結局、数日後に亡くなりました。他にも0歳の赤ちゃんを含めて、家族が誰も生き残っていない子どもたちを何人も診ました。回復したとしても、この子たちの人生はこれからいったいどうなるんだろう、と思うと本当につらかったです」
救急医・麻酔科医である中嶋さんは2009年に国境なき医師団に登録。以来、シリア、イエメン、パキスタン、イラク、南スーダン、ナイジェリアでの活動実績があるが、家族をすべて亡くした受傷児を意味する「WCNSF(=Wounded Child No Surviving Family)」という言葉はガザで初めて知ったという。
「ここまで戦争の破壊力を思い知らされたことはなかった。ここまで自分が弱ってしまったのも初めてで、自分の無力さも感じました。命をつなぐ限界があった」
と言葉を詰まらせ、涙を流した。