幼少期のクロちゃん(写真中央)。ご両親との貴重な3ショット(写真:クロちゃん提供)

 思い返せば、父親はいつもボクを応援してくれていた。父親はものすごく照れ屋だから、あまりそんな素振りは見せないんだけど、ボクが載った雑誌や新聞を切り抜いて、きれいにスクラップしていたのもボクは知っている。ボクの出演する番組も、母親と欠かさず見てくれていたし。

 今から20年以上前。ボクが「アイドルになりたい」と初めて家族に伝えた時に、背中を押してくれたのも父親だった。

 当時のボクは、まだ大学に在学中で、保育士になるために勉強していたころだった。それまで、「将来は勇者になる」「ブラジルで砂金をとる」などと言って、両親を困らせていたボクが、初めて現実的な道を歩きはじめていた時だったから、母親は、当然、号泣しながら猛反対。「こんな息子に育てた覚えはない。絶対許さない!」ってね。

 そんな取り乱した母親を説得してくれたのが父親だった。

「あいつが、初めて自分の口からやりたいって自己主張したんだから。好きなことをやらせてやれ。あいつの人生なんだから」

 どうやら父親は、昔、コックになるのが夢だったみたいなんだ。でも、あまり家庭が裕福じゃなかったこともあって、泣く泣くその道を諦めたらしいの。成績もトップクラスだったから、本当は大学にだって行きたかっただろうけど、弟や妹のために、進学も諦め、祖父と同じ会社に就職したんだって。

 その時の「夢を諦めた経験」が、ずっと心に引っかかっていて、「自分の子どもには好きなことをさせてやろう」、ずっと、そう思ってみたい。

 あの時の父親の説得がなかったら、絶対に今のボクはいない。

 もしあの時、芸能界を諦めていたら、今頃ボクはギャンブルにあけくれて、借金作って、ろくな人生を送っていなかっただろうと思う。

「お父さんは、あんたの一番のファンだよ」

 以前、母親がそんな風にこっそり教えてくれたことがあって、ボクは涙が出るくらいうれしかった。

 そういえば、ある日、父親からサイン色紙が200枚も送られてきたこともあった(笑)。

「サインが欲しいと言ってくれている人がいるから、書いてくれないか」。父親が、ボクに頼み事するなんて初めてだったから、とても驚いたね。

暮らしとモノ班 for promotion
「最後の国鉄特急形」 381系や185系も!2024年引退・近々引退しそうな鉄道をプラレールで!
次のページ