ポノックでは、未来を担う若手アニメーターの育成プログラム(通称P.P.A.P.)を実施。選抜者には、契約社員として賃金を払いながら、作画、演出、レイアウトなどアニメーションの基礎を教えている(撮影/家老芳美)

「火垂るの墓」に心震え 映画制作の道を志す

 いちばん古い記憶は、幼稚園の校門前に停められた黒塗りの高級車だ。出身は東京都大田区。父は自ら設立した金融会社の社長、母は専業主婦、2歳上の姉と6歳下の妹がいる。父の会社は好況が続き、「運転手付きの車で幼稚園に送迎してもらうような生活」をしばらく送っていた。

 だが、5歳のときに父が原野商法に引っかかり会社は倒産。生活は一変した。父は酒に溺れ、母は家計を支えるために夜に働きに出るようになる。

 10歳のときに両親は別居した。西村が中学生になる頃には、母、姉、妹の4人で、2DKの小さなマンションで暮らすようになった。

 一家が離散したことに深く傷ついた姉は、家に帰らない日が増えていった。母は昼夜を問わず働きに出ており、西村は妹と2人で過ごす時間が多くなった。生活は苦しく、電気やガスもよく止められた。夜になると、借金取りの男がやってきて玄関のドアを何度も蹴った。怒声が響く真っ暗な部屋の中で、西村は妹と息を殺して時間が過ぎるのを待った。それでも西村は気丈だった。

「よっくんなりに、自分が父親の代わりに家族を支えないとだめだって思ってたんじゃないかな」

 姉の昌美が夫と営むバーを訪ね、話を聞いた。

「根は明るくてひょうきん者。でも責任感がすごく強いんです。僕は母さんに楽をさせたいんだって、小さい頃からずっと言ってましたから」

 妹の千恵子は、「兄はしつけに厳しくて、勉強や交友関係でもよく叱られていました」と話す。

「でも楽しい時間も多かった。2人でよく不動産のチラシに間取り図を描いて遊んでました。『ここは母さんの部屋、こっちは僕と千恵子の部屋。一緒に理想の家を作るんだ』なんて話していました」

 2人には、もう一つ楽しみがあった。毎週テレビで放映される映画番組を観ることだ。

 ある晩、偶然流れた映像を観て、西村は画面にくぎ付けになった。故・高畑勲が監督した「火垂るの墓」だった。

 作中で、飢えに苦しむ兄妹は、農家の畑からトマトを盗む。そのとき兄の清太は、もぎ取ったトマトをまず自分が齧(かじ)った。それがたまらなかった。

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