「屋根裏のラジャー」のジャパンプレミア(完成披露試写会)で出演者らと。「作品を選ぶ方々が出てくれたのは嬉しい。似せたわけではないが、なぜか登場キャラと皆さんの顔がそっくりになった(笑)」(撮影/家老芳美)

 帰国後、西村は知人のつてを頼り、「無休でいいから働かせてほしい」とスタジオジブリのプロデューサーの鈴木敏夫に手紙を送った。それまで千本を超える映画を観てきたが、いつも心を動かされるのは、子どもが主人公の映画だった。

「その中で夢だけでなく、現実や悪夢もしっかりと描いているのは、ジブリだけだと思いました」

 念願叶(かな)い、2002年にスタジオジブリに入社。だが任されたのは、海外事業と著作権法務の仕事だった。約1年半、契約書のデータベース構築や出納業務に携わる。正直、オモシロくない。

「それでふてくされていたら、鈴木さんから『宮さんが監督するCMを手伝え』と言われたんです」

 ジブリは徹底した現場主義だ。西村は、鈴木を始め、スタジオに出入りする先輩や業界人に片っ端から質問をぶつけて宣伝の仕事を覚えていった。

「動きながら考える。失敗して怒られる。また動く。この繰り返し。『俺の映画を』みたいなプライドはすぐに粉々にぶっ壊された。運が良かったと思います。『映画を良くすることだけ考える』という今の精神性は、そこで培われましたから」

 その後は、「ハウルの動く城」「ゲド戦記」「崖の上のポニョ」の宣伝を担当。06年には、高畑と宮崎駿がアニメーションの世界に入るきっかけとなったフランスの長編アニメーション「王と鳥」を劇場公開するため宣伝プロデューサーを務めた。

スタジオポノックで広報宣伝を務める細川朋子曰く、「一度集中モードに入ると何を言っても反応しなくなる。情熱は本物です」(撮影/家老芳美)

高畑勲と格闘して学んだ アニメーション映画の本質

 これを契機に、西村は自らの映画人生の原点とも言える「火垂るの墓」を作り上げた高畑の面識を得る。そして高畑の次回作「かぐや姫の物語」の制作に携わることになった。実に8年に及ぶ苦闘の幕開けであった。

(文中敬称略)(文・澤田憲)

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