奥山佳恵さん(撮影/写真映像部・佐藤創紀)

背中を押してくれた長男の言葉

 意を決して電話をかけると、意外な言葉が返ってきたという。

ダウン症であることを伝えると、『あー、そうなの。それよりご飯ちゃんと食べてるの?』って。あまりにもあっさりしていたので、もう一度言うと、『みんなで育てていきましょうね』って言ってくれたんです。私はやっと言えたっていうことと、いつも通りの母でいてくれたことに、自分でも驚くほど涙が出てしまいました。それから、美良生やダウン症のことで涙を流していないんです。私自身が美良生を丸ごと受け入れることができた瞬間だったと思います。母にようやく言えたというのが私のゴールでした」

 奥山さんは出産から1年半がたった13年3月11日に、ブログで美良生くんがダウン症であることを公表する。

「一番大きな理由は、ダウン症って怖くないよ、ということを知ってほしかったからです。私は初め、ダウン症は恐ろしいものだと思って、ファイティングポーズを取りながら、美良生と過ごしてきました。けれど、1年半、生活をともにして、日を追うごとにその振り上げた拳がだんだん下りてきて、身構えることもなくなりました。この子は、本当にかわいくて、いつも笑っていて、長男よりもがぜん育てやすかったんです。率直に感じたのは、『思っていたより、普通だった』ということ。私のように『ダウン症=怖い』とか、家がめちゃくちゃになるとかっていうイメージを世間の人が持っているとしたら、私が発信することでそのイメージを変えることができるのではないか、と思ったんです」

 公表することには迷いもあったという。しかし、最後に空良くんの言葉が奥山さんの背中を押した。

「公表に当たっては、当時、小学校高学年の長男のことも心配だったんです。多感な時期なので、弟に障害があるということが知られてしまったときに、からかわれるかもしれないと。でも、彼は『全然大丈夫。もしからかわれたら、うちの弟はかわいい時期が長く続くからいいだろう!って、自慢してやる』って言ってくれたんです。その言葉が私の背中を押してくれて、公表をする決断ができました」

(AERA dot. 編集部・唐澤俊介)

※【中編】<ダウン症児を育てる奥山佳恵さんが「新型出生前診断」に抱く違和感 「誰も幸せになっていない」>に続く

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唐澤俊介

唐澤俊介

1994年、群馬県生まれ。慶應義塾大学法学部卒。朝日新聞盛岡総局、「週刊朝日」を経て、「AERAdot.」編集部に。二児の父。仕事に育児にとせわしく過ごしています。政治、経済、IT(AIなど)、スポーツ、芸能など、雑多に取材しています。写真は妻が作ってくれたゴリラストラップ。

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