長男の入学式で撮った家族写真。小宮氏はこのとき完全な無職だった

本人が貧困に陥る

 2012年9月、八王子つばめ塾は、講師は私1人、生徒1人から始まりました。

 半年後には、1人だった生徒は6人に増えました。ボランティア講師のなり手はそれ以上に増え、10人を超えていました。生徒よりも講師のほうが多い教室で、私も一緒に教える日もありました。

 教育畑出身だった私には、八王子つばめ塾はまさに天職でした。働きながらボランティアをやってみたいと、ある意味で気軽に立ち上げた無料塾の活動に、やればやるほどのめり込んでいきました。

 八王子つばめ塾を作って約半年後の2013年3月末で勤め先を退職。4月には長男の小学校入学式を、その数日後には次男の幼稚園入園式を控えています。その父は、再就職先はおろかアルバイト1つ決まらない完全な無職です。そして三男はまだ1歳半。

 その1週間後に、ようやく月収数万円のアルバイトが決まりましたが、とても生活費には足りません。どうしようもない状態です。妻は「私も働けるから」と、早朝からパートに出てくれました。

 その後も家族を養う手だてを探し、家庭教師、予備校の講師、弁当屋の皿洗いに配達、コンビニの夜勤……無料塾の運営や生徒に教える時間を確保できる仕事ならば何でもやりました。何足ものわらじを履きながら、八王子つばめ塾で教え続けました。しかし、八王子つばめ塾の運営は本当に楽しくて、つらいと思ったことは一度もありません。一番の苦労は、自分と家族の生活を守ることでした。

 妻と3人の子どもを抱えながら自分のやりたいことへと突き進むのですから、家族に苦労をかけてはいけないと思い必死に働きました。37歳にもなってアルバイト先で「いい加減に仕事を覚えろ! お前!」なんて頭ごなしにどなられながら、厳しい生活を送る毎日でした。

 貧困をなんとかしたい! と無料塾を立ち上げた本人が貧困に陥るブラックジョークのような状況です。ここまで没頭して打ち込まなければいいのでしょうが、無料塾を全国に広げたいと思ってしまったものだから、こればっかりは致し方ありません。

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1年後には生徒50人、講師60人に