
キリスト教が勢力を急拡大するにつれ、利権を求める者たちの聖職者の地位争いによって都市の教会は腐敗した。その一方、信仰と真摯に向き合うことを願う者たちは孤独に修行する“隠修士”となった。中でも特筆すべきは、高い柱の上で37年生活したことから「柱頭行者」と呼ばれた隠修士だ。清涼院流水氏の新著『どろどろの聖人伝』(朝日新書)では、キリスト教国で愛され語り継がれてきた聖人伝が紹介されている。同著から一部を抜粋、再編集し、「柱頭行者」と呼ばれたシメオンを紹介する。
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ローマ帝国で最初は迫害されていたキリスト教が容認され、勢力を急拡大するにつれて、利権を求める者たちが聖職者の地位を奪い合い、都市の教会は腐敗しました。その一方、真摯に信仰と向き合うことを願う者たちは砂漠で孤独に修行する隠修士となりました。そんな隠修士たちが次第に共同生活するようになったのが修道院制度のはじまりですが、あくまで孤独を貫き、いつまでも群れるのを嫌った者たちもいました。中でも特筆すべきは「柱頭行者」や「登塔者」(英語名スタイライツ)と呼ばれるシメオンです。シリアのアレッポの近くに立てた高い柱の上の非常に狭いスペースで37年も生活したことから、彼は「柱頭行者」と呼ばれるようになりました。それ以前にそんな生活をした者は知られておらず、彼自身が発明した、それは修行の新ジャンルでした。