キムさんが住む海雲台(ヘウンデ)はもともと漁村だった地区で、手軽に観光を楽しめるエリアとして週末になると家族連れや釣り客でにぎわっていた。
尾仲さんが撮影した写真には屋台がずらりと並び、潮干狩りを楽しむ人々の奥に遊園地の観覧車が見える。
筆者が子どものころに訪れた「谷津遊園(千葉県習志野市)」と雰囲気が似ていて、とても懐かしい。谷津遊園は潮干狩りのできる遊園地としてにぎわったが、昭和の終わりに閉園してしまった。現在は住宅地になっている。
しかし、海雲台の変貌はそれ以上だった。
「今は、ものすごいビルが建っていますよ」と、尾仲さんは言い、最近撮影した写真をスマホで見せてくれる。全面ガラス張りのド派手な超高層ビルが林立し、別世界を見るような変わりようだ。
現在、海雲台は韓国有数のリゾートタウンだという。尾仲さんが初めて訪れたころは、その巨大開発のさなかだった。
どこへ行っても穴だらけ
96年に写した写真には、建設中の高層マンション群を背景に、広々とした路上で野球をする子どもたちの姿が写っている。
「まだ開通していない道路で子どもたちが遊んでいるんです。これを見て、少年時代を思い出しました。ぼくもまさにこういうところで育ったので」
60年、福岡県直方市生まれの尾仲さんは小学3年生のとき、父親の転勤で千葉県君津市に引っ越した。
「当時、山を削って団地を建設して、どんどんニュータウンをつくっていました。なので、海雲台の景色を見て、子どものころの記憶がよみがえりました」
海雲台から路線バスに乗って、中心市街地に向かうと、釜山は想像していた港町のイメージとは違った。
「地下鉄建設や道路拡張工事の真っ最中で、どこへ行っても穴を掘っていました」
取り壊される家々、掘り出された赤土の上に積まれた土管や鋼管、建設資材を運ぶ大型トラック。変わりゆく街にレンズを向け、シャッターを切った。
繁華街にはおしゃれなカフェが並ぶファッションストリートがあった。「でも、そういうところには興味がない(笑)」。その道のとなりには町工場や問屋が集まる、まったく別の街の表情があった。
「そのへんが六本木や青山のある東京とは違うところです。ぼくはカフェのないほうの通りをずっと歩いていました」