最近、尾仲浩二さんは撮影や写真展開催などで、年に3回ほど韓国を訪れるという。そのほとんどはソウルではなく、南部の都市、釜山である。
「最初の印象がとてもよかったからでしょうね」と、その理由を口にする。初めて釜山を訪れたのは1996年5月だった。
「個人商店がいっぱいあって懐かしいというか、すごく昭和の感じがした。それが面白かったですね」
ただ当初は、「韓国に全く興味はなかった」と言う。釜山行きを決めたのはひょんなきっかけだった。
95年4月、尾仲さんは静岡県の港町、清水を訪れた。いつものようにあちこち歩き回って撮影し、夕方、食堂に入ると先客がいた。
40代の船長と若い船員たちの宴はたけなわだった。「にいちゃん、いっしょに飲みなよ」と機嫌がいい。釜山から来たという。片言の英語と筆談で盛り上がっていると、ふと釜山に行ってみたくなった。この街には写真学校時代からの知人、キムさんも住んでいる。
潮干狩りの海岸に超高層ビル
初めての韓国にはどうしても海を渡って行きたかった。東京から寝台特急で北九州・小倉へ。博多からジェットフォイルに乗れば3時間ほどで釜山に着くが、観光客ばかりなので味気ない。小倉から山口県・下関に移動し、夕方、韓国の行商のおばさんとともに関釜フェリーに乗り込んだ。強風のなか出航したフェリーの船内はキムチのにおいがした。
翌朝、目が覚めると船は釜山沖に停泊していた。デッキに上がると、海辺から山すそに張りつくような街が見えた。8時半、フェリーターミナルに到着。ところが、いくら待っても迎えに来るはずのキムさんの姿が見えない。
「当時は携帯電話がなかったので観光案内所から電話をかけたら、キムさんはぼくが来るのは次の日だと思っていた。タクシーでキムさんの写真館に向かったら、途中で他の人を乗せていくので驚いた。『相乗り』の習慣を知らなかったんです。そんな感じで10日間の釜山滞在が始まった」