斎藤:世界的には90年代から2008年のリーマン・ショックまではグレート・モデレーション(大いなる安定)の時代だったと言われています。世界規模の戦争もなく、経済の動きも穏やかだった時代。あの頃、うまく機能していた社会のシステムはリーマン・ショック以降、各所で綻びを見せ始め、コロナをきっかけに完全に破綻した。ここでもし来年、トランプが選挙で勝ち、「国連なんか気にするな」「ウクライナへの資金援助もやめてしまえ」となれば、世界中に戦争が飛び火していく可能性だって否めません。そのような戦時経済を生き延びるための道を切り開くためには、新しい価値観が必要なのです。
労働の価値観が変わる
斎藤:ゆっくりとですが、日本でも若い世代の間で、労働に対する価値観が大きく変わりつつあります。頑張って働けば車も家も買えて、老後も安心な生活を送ることができるといったストーリーはもはや説得力を失いました。資本主義の魅力は減り、日本の経済は停滞し続けるだけで希望がない。円安や人口減少で、豊かに何でも消費できる時代は戻ってこないかもしれない。そういう状況のなかでは、エッセンシャルな仕事を意識的に選択したり、新しい幸福のあり方を積極的に見いだしていかざるを得ません。
池上:終身雇用も崩壊しつつありますしね。少し前までは新卒で入社してから3年間は我慢して働けと言われていましたが、企業への忠誠心が薄れましたから、今は3年経たずに辞めてしまう新入社員が後を絶たないと聞きます。ではそのとき、若い人たちがどうやって自分の身を守るのか。かつてのように国や会社が守ってくれることは期待できない。だからNISAに頼るしかない。自分の生活を自分で守ろうという気持ちが強くなっているわけですね。ただ、一方では環境のことも考えなければならない。個人と社会全体の幸福をそれぞれ追求するというアンビバレントな意識が一人の人間のなかに共存しているのが現代の若い人たちの特徴なのかなと思います。
ストーリーを取り戻す
斎藤:確かに現在、個人主義的な考え方をする人がとても多くなっていますね。池上さんのおっしゃるように、それは自分たちの生活を守る術がなくなりつつあるという危機意識と無関係ではないと思います。60年代、70年代に人々の間で共有されていたような、自分たちの力で世の中を変革できるといったストーリーがどこにもないんです。だからこそ、もう一度、ストーリーを取り戻すことが大切なのではないでしょうか。
自分の幸せが大事だとしても、地球の環境が危うければより合理的な選択をせずにはいられない。マルクスがかつて思い描いていたコミュニズムの復権が実現する可能性はそこにあると私は考えています。アメリカのZ世代が社会主義に惹かれるようになっているのも一つの希望と受け止めていいでしょう。
とはいえ、それが唯一のストーリーであるべきだとは思いません。とにかく新自由主義に代表される価値観からの抜本的な転換を遂行しなければ、私たちはポリクライシスの時代を生き残れないのです。