どんなに苦痛な美容法でも、十日で葉月里緒奈の顔になれるとか、篠原涼子のようなさばけたイイ女になれるとかならいくらでもしますが、たぶん資本主義社会がくれるのはそんなものすごい魔法ではなく、ちょっとよくなった気がする程度の小さな幻です。その小さな幻が今の自分にとって大きな幸福になる場合はいくらでもしたらよいけど、三年後のお肌のために、とか、若い時に比べてシミが目立つから消さなきゃ、とか計画や義務を感じる必要はないと私は思います。旅行は目的地よりも、その道行きこそが魅力と思っているのですが、美容もビフォアアフターの目的よりも、最中の幸福を大切にしたい。あとはせいぜい、美容に詳しい友人やその業界の人に聞いて信頼できる医者を一人見つけ、その人が絶対におすすめということだけする、とかでも現実的だと思います。私はまだ良心的な美容皮膚科医に答えを伝えていませんが。
生きていくことが自然と傷むことであることが自明で、若い時に比べれば傷や弛みがあることは当たり前、とはいえ、年を重ねたおばあちゃんの手こそ美しい的な論理で荒々しい現代の東京を生きる現役アラフォー世代は納得しません。年を重ねるのは喜びです、小さな傷や弛みも色気に、みたいなことを言ってた美人女優がいましたが、ただでさえ多くの人は美人女優ほど美人じゃないので、傷や弛みなんてないほうが良い。しかし、特に一部男性に根強い若さ信仰も手伝って、若さと張り合っているととても疲れる上に、気づくと整形お化けみたいな怖い美魔女になっていた、なんてこともありそうで、うーん、それも私の求めてることじゃない、というのが多数の本音のような気がします。美容に気合を入れるよりは、若い子が買えない高級スーツを着たり若い子が行けない高級鮨屋に通ったりして、「お嬢ちゃんたちにはまだ早いよ」と言えるような、何様な大人女性にギアチェンジしたほうが自尊心は守られるのでは、と思う今日この頃です。