こちらは健在の近所の喫茶店のオムライス。これが食べられるのも永遠じゃないと心して頂く(写真:本人提供)

 カフェではモーニングを食べ午前中の原稿書きをするのが日課で、当コラムもほとんどここで書かせていただいた。八百屋さんは小さい店ながら全国の農家から季節の野菜がちょこちょこ届き、日々品揃えが違うのが大好きだった。その野菜が育った土地に思いを馳せるのは、我が日常の小さな旅であった。心の中で「マイ道の駅」と呼んでおりました。

 そしていずれの店も、若いスタッフがニコニコ元気に働いていた。あまりに通っているので当然全員顔見知りで、今日は寒いですねーとか、ちょっとした言葉でお互いを思いやる関係にどれほど日々励まされ力をもらっていたか、それが失われる今になって痛いほど気づき、愕然とする。心にぽっかり穴が開くとはまさしくこのような事態をいうのであろう。ああ私はこれからどーやって生きていけばいいの……?

 別れは小さな死、とフランスのことわざにあるそうだ。

 確かにそうだなと思う。永遠に続くものなどない。生きるということは何かを失っていくことの連続である。その失うことが寂しい、悲しいと思うのは、それだけ大きなものをもらっていたということだ。つまりは幸せということなのだと言い聞かせて自分を慰める。皆様ありがとう。そしてさようなら。幸せに。どうぞお元気で。

AERA 2023年11月13日号

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