クイーン『オペラ座の夜』ユニバーサル ミュージック「ボヘミアン・ラプソディ」やイギリス国家「ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン」を収録
Phew『Phew』P-VINE RECORDSカンのホルガー・シューカイとヤキ・リーベツァイトが参加

ロックは、ご当地だ!

 アメリカとイギリスという、資本主義の本丸を中心に世界を侵略したのがロックである。いわばロック帝国主義。それはそうなんだが、植民地を侵略する過程で、ロックは様々に変形し、勘違いされ、曲解を経て、新しいかたちをとる。

 ドイツで、北欧で。中国や旧ソ連の社会主義圏で。日本でも。ロックは、ロックの意味を、自身で拡張していった。

 日本の女性ボーカリストPhewのソロデビュー作『Phew』(81年)は、西ドイツ(当時)で録音された。ジャーマンロックの雄、カンのメンバーが参加している。暗さ、不安、焦燥、その先にあるかすかな希望。パンクロックを経由した80年代ニューウェーブの特質を、世界のだれよりもひりついて表現できたのは、極東島国の女性ミュージシャンであった。

ロックは、無だ!

 発表当時はそれほど売れなかったリトル・フィート『セイリン・シューズ』(72年)を聴いていると、不思議な気持ちになる。これどこの、いつの時代の音楽なんだろう? フォークにブルースにR&Bにファンクにカントリー。ニューオーリンズな湿り気、テキサスっぽい埃っぽさもあるけど、カリフォルニアの青い空みたいな、爽やかテイストもある。出身地、どこなんだ? だれが演ってんだ?

 いまの言葉でいえば、アメリカーナーということになるか。アメリカ大衆音楽の古層に埋もれた音を、あこがれと探究心とで掘り起こす。

 ロックにはときどきこうした不思議な音楽が現れる。どこにも属さない。なにも主張しない。芸術なんかじゃない。ただの歌。ただのいいメロディー。

 今年亡くなったロビー・ロバートソンのザ・バンドもそうだった。アメリカ南部を中心にした音楽を掘り当てたが、メンバーの中心はカナダ人。

「ロックは反抗だ」と人は言う。「ロックは革命だ」とも馬鹿が言う。ノーノーノー。「ロックは、○○だ!」。そう決めつけたそばから、狭苦しい定義をすり抜けていくのが、ロックだ。ロックは、何でもない。何とも規定できない。

 あえて言うなら、ロックは、無だ。ヴェルヴェット・アンダーグラウンドも、フランク・ザッパもニック・ドレイクも灰野敬二も。ロックは定型をとらない。「有る」と同時に、「無く」なっていく音楽ジャンル。

 だから、永遠だ。

 だから、愛おしい。(朝日新聞編集委員(天草)・近藤康太郎)

AERA 2023年11月13日号より抜粋

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