10代最後の日(1985年11月28日)に3rdアルバム『壊れた扉から』を発表。大阪球場でライブを行うなど、尾崎の人気ぶりはさらに過熱し、マスコミは“若者の教祖”という言葉を使ってその現象を報じ続けた。しかし20代になった尾崎は突如として活動休止を宣言。約1年半後にツアーを再開するも、体調不良により中断に追い込まれるなど、思うような活動ができない時期が続いた。そして1987年12月に覚せい剤取締法違反容疑で逮捕されてしまう。
その後、シングル「太陽の破片」で活動を再開し、東京ドームで復活ライブを敢行。アルバム「誕生」をリリースするなど新たなキャリアを進み始めた矢先、1992年4月に26歳の若さでこの世を去った。
社会現象にもなった人気ぶりに対するプレッシャー、“10代の代弁者”というイメージの呪縛、バブル経済に浮かれる世間と真摯なメッセージ性を軸にした自らの音楽性とのギャップ。1980年代の半ば以降、尾崎豊がアーティストとして失速を余儀なくされた理由はさまざまだろう。尾崎が亡くなった1992年のヒット曲といえば、「君がいるだけで」(米米CLUB)、「涙のキッス」(サザンオールスターズ)、「決戦は金曜日」(DREAMS COME TRUE)など。華やかなポップソングがはやる時代において、尾崎の音楽の居場所はなかったのかもしれない。
しかし、彼の音楽が今も多くのファンを獲得し、強く惹きつけていることも事実だ。常に危うさがつきまとい、さまざまなトラブルに直面しながらも、音楽に殉じるように生を駆け抜けた尾崎豊。生き方そのものが楽曲やライブに反映された彼の音楽は――「生きるとは?」「自由とは?」という本質的なテーマを内包した――まさに唯一無二。他の誰とも替えがきかないからこそ、今現在も彼の存在は強く求め続けられているのだ。
ベスト作品としては、やはりアルバム「十七歳の地図」を推したい。「I LOVE YOU」「15の夜」「OH MY LITTLE GIRL」「僕が僕であるために」などの名曲を収めた本作からは10代の尾崎豊の才能のきらめきが真っすぐに伝わってくる。思春期特有の葛藤、希望、絶望を詩的に描いた歌には間違いなく、普遍的な力が宿っていると思う。
(森 朋之)