南極の「ハムナ氷瀑」の前に立つ坂野井和代さん。南極大陸上の氷床が、海に滝のように滑り落ちている=1998年

 で、その年の秋に急に夫の南極行きが決まったんです。本人は行くつもりにしていなかったのに、次に行く人がいなくて先生から「行かないか」と言われて。そのとき私たちが考えたのは、このままいくと多分2人とも研究者になるだろう、そうすると2人ともどこに就職するかわからない。別居になる可能性は非常に高くて、今しか一緒にいられないんじゃないか、だったら一緒にいられるときに結婚しちゃえ、って。夫いわく、南極に行った先輩に「絶対、南極に行く前に結婚しろ」と言われたと。帰ってから結婚しようと思っていて、ダメになった人がいっぱいいたらしい。

――あ~、それは想像がつきます。

 付き合い始めて半年ぐらいで結婚すると決めました。後輩の女の子に「なんで結婚しようと思ったんですか?」と聞かれたことがあって、「この人と結婚したら自分の生活をまったく変えなくていいっていう保証があったから」って答えたんです。要は私、南極に行きたかったんです。そのときはもう夜間の観測研究をテーマにしていたので、月のうち2週間は蔵王の観測所に夜間観測に通う生活をしていた。他の男の人と一緒に行っちゃうわけですが、そういったすべての状況を理解してくれている。お互い、研究者だから基本的な価値観は同じだし。

 あと、うちは両親とも高卒なんです。何で私を大学院まで行かせたんだろうと不思議なぐらい。母が言うには「あなたは言っても聞かないから好きなようにさせてた」ということなんですが、唯一言われたのが「結婚だけはしてね」でした。

――ほお、だから早く結婚した?

 いや、だからというわけじゃないですが、頭のどこかに残っていて、これで親も一安心だろうし、ちょうどいいやっていう感じ。結婚したのが2月で、その年の11月に夫は第37次越冬隊員として晴海埠頭から出発しました。帰ってきたのが翌々年の3月で、その年の11月に今度は私が南極に向かったわけです。

――南極での様子は2000年に岩波書店から出た『南極に暮らす 日本女性初の越冬体験』に詳しく書かれていますね。

 帰国して半年はこの原稿書きに集中していました。私、受験勉強していたときは国語が一番得意だったんですよ。それなのに、すごくつらかった。二度とやりたくない(笑)。

 本を書き上げてから、南極でとったデータの整理を始め、2年半かけて博士論文にまとめました。オーロラの中にはすごく細かくチカチカ動くタイプがあって、昔は観測器の性能が悪くてとらえられなかったんですが、私は観測器の開発からやって、データを分析し、なぜこういう現象が起こるのかの仮説を立てた。その後、海外の研究者が私の仮説を証明する論文を書いています。

――それは素晴らしい。博士号を取ったあとは、通信総合研究所(現・情報通信研究機構)のポスドク(博士号取得後研究員)になったんですね。

 夫は南極から帰ってきたら博士号を取る前に東北大の助手になりました。当時はそういう人が結構いたんです。夫の世代は博士号を取るとだいたい就職先があった最後ギリギリで、私の世代との間に切れ目がある。政府がいわゆるポスドク1万人計画(1996年度から5年間)を実施して、若手は任期付き研究員になるように誘導したから、私が博士号を取ったときは任期の付いていない職を得るのがものすごく難しかった。私は氷河期世代の先頭を走っていて、研究者向けの就職情報サイトを必死で探して、応募して、ようやく就職口が決まった。勤務地は東京なので、想定した通りに別居生活が始まりました。

【お知らせ】11月11日(土)、オンラインセミナー「研究者に聞く仕事と人生-アエラドットの連載から学ぶ」が東京理科大理数教育センター主催で開催されます。

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高橋真理子

高橋真理子

高橋真理子(たかはし・まりこ)/ジャーナリスト、元朝日新聞科学コーディネータ―。1956年生まれ。東京大学理学部物理学科卒。40年余勤めた朝日新聞ではほぼ一貫して科学技術や医療の報道に関わった。著書に『重力波発見! 新しい天文学の扉を開く黄金のカギ』(新潮選書)など

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