白衣をまとった姿は研究者か画家にもみえる。空の色や音楽からもカクテルのインスピレーションを得る(撮影/今村拓馬)
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 スモールアックス取締役・Bar TRENCH チーフバーテンダー、ロジェリオ 五十嵐 ヴァズ。世界のベストバーにも選ばれる「Bar TRENCH」は、日本でもあまり知られていなかったアブサンやビターズをいち早く取り入れた。ロジェリオ 五十嵐 ヴァズは、チーフバーテンダーとしてシェイカーを振る。ブラジルに生まれた日系ブラジル人3世。シンプルな中に遊び心をプラスしたカクテルに加え、優しい笑顔と、どこか捉えどころのない魅力にひかれた客が、今日も訪れる。

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 夕闇に覆われた東京・恵比寿。その裏路地にある「Bar TRENCH」に橙(だいだい)色の灯(あか)りがともると、待ちわびた人たちが次々とドアをくぐっていく。カウンターを入れて13席の小さな店は、異国の隠れ家のような雰囲気が満点だ。天井まで届く棚には、酒のボトルのほか本やレコードがうずたかく積まれている。その前でロジェリオ 五十嵐(いがらし) ヴァズ(48)がクシャッとした笑顔で「いらっしゃいませ」と迎えてくれた。

 ロジェリオがチーフバーテンダーを務めるこの店はアジアのベストバー50に7年連続でランクインし、5年連続で世界のベストバー100にも選出されている。オープンは2010年。日本で認知度の低かった薬草酒「アブサン」や、ハーブなどから抽出したリキュール「ビターズ」をいち早く取り入れ、業界でも話題の店となった。

 日系ブラジル人3世のロジェリオは、ラジオパーソナリティーのようなやさしい声で日本語と英語、ポルトガル語を操り、客人をもてなす。ロックグラスになめらかな手つきで氷を回し入れ、シェイカーをリズミカルに振りながら、ロンドンからハネムーンできたというカップルにおすすめの日本のクラフトジンを紹介し、カナダ人青年と冬の彼の地の過酷さを語り合っている。

 秋のカクテルメニューから「密輸入者」という意味の「ザ・スマグラー」をオーダーしてみる。オレンジとレモンの果汁に、アブサンとバニラ。ドライオレンジの上に削ったトンカビーンズが添えられる。ひと口含んだ瞬間、嘘じゃなく鳥肌が立った。これは……美味しい! とろりとした口当たり、柑橘(かんきつ)のやさしい爽(さわ)やかさの奥に、八角のような複雑なハーブを感じる。加えてトンカビーンズのナッティでエキゾチックな風味が重なり合い、とろけるようだ。

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