作品を重ねるごとに富江の美しさも増していく。「富江 ある集団」より

 ところで私の漫画はときどき「真面目に描いているのかギャグで描いてるのかわからない」「これは笑わせにきてるのですか?」といった質問を受けることがある。

 富江の死体を解体しているシーンで男子生徒たちが「大腸って太い」とか「彼女、今日の昼はサンドイッチか……野菜が多い」といった妙に間の抜けた会話をしているのも、見方によってはギャグの延長線上にあると言えるかもしれない。こうしたブラックユーモアというか、異常なシチュエーションと日常的なセリフのズレが生み出す面白さみたいなものは、筒井康隆先生や大友克洋先生の初期作品からの影響が強い気がする。
 

 そのほか『富江』では、大友先生の作品から影響を受けたポーズやカメラアングルも多分に盛り込んだ。走る人間を真上から描いたり、会話する2人を下からあおって描いたりするなど、若いころは「誰も見たことのない斬新なカットを描きたい」という気持ちが強かった。そのため漫画の中にも、昔の大映映画にある「傘をさして歩く人を真上から撮ったシーン」のような、映画的な構図を積極的に取り入れていた。

 ちなみに映画からの影響という点では、『富江』のラストシーンもそうだ。最後に海岸で、心臓から再生する富江を発見して女子生徒が驚愕するシーンは、映画『猿の惑星』のラストシーンを少し意識している。このように『富江』の人物像や物語は、さまざまな狙いや願望、偶然などが混じり合って少しずつ出来上がっていった。 

 そのすべてが成功したとは言えないかもしれない。しかし人間でも、幽霊でも、妖怪でもない、「富江は富江である」としか言えない得体の知れない存在を曲がりなりにも生み出すことができたのは、とても幸運なことだったと思っている。

伊藤潤二さん(撮影/朝日新聞出版写真映像部・東川哲也)
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