デフバレーがくれた仲間 耳鼻咽喉科医への道
デフバレーとの出合いは、狩野医師にとって多くの転機ともなった。“同世代の聴覚障害者”という貴重な仲間を得ることができた。当事者同士の情報交換や医師として仲間の相談に乗ることもある。
数ある診療科のなかで耳鼻咽喉科医になることを決めたのも、デフバレーがきっかけだった。研修医時代、病院に先天性難聴の子どもと両親が訪ねてきた。医師・デフバレー選手として活躍する狩野医師をテレビで見て、会いにきたという。
「『難聴の子をもつ親として不安が多かったが、活躍する姿に勇気づけられました』とそのご両親に言われて。当時は、患者さんの診察などに『耳』を使う機会が少なく、画像診断を中心に『目』で仕事をおこなう放射線科医の道も考えていました。でも難聴の当事者だからこそ、患者に寄り添えるということに気づき、耳鼻咽喉科医になることを決めました」
障害をもつ当事者は、当事者にしかわからない世界を生きている。当事者としての経験が耳鼻咽喉科医の仕事で役立っていると感じる。
「医師としての専門的な知識に加えて、当事者の立場から、補聴器の選び方や人工内耳のメリット・デメリットなどを伝えられます。説得力に厚みをもたせられるのは一つの強みかなと思います」
聴覚障害のために、子どもの頃から多くの人の世話になってきた。その分、自分のできることで恩を返してきた。いまは耳鼻咽喉科医として“恩返し”を果たせている。
「人間はもちつもたれつだと思っています。障害がある人も、そこに引け目を感じるのでなく、パズルのピースのように、それぞれの長所と短所を埋め合っていけばいいだけかもしれません」
(文/石川美香子)
※週刊朝日ムック『医学部に入る2024』から