■障害児・者のことを知らないまま育った先生も
環境面でのもうひとつの違いは、日本では社会全体が、障害のある子どもに出会う機会が少ないことだと思います。昭和時代の教育現場では、障害があると特別支援学校(養護学校)へ進学するのが一般的で、地域の子どもたちと一緒に過ごす時間はほぼ無かったようです。そして、障害のある子どもをほとんど知らないまま育った人が学校の先生になった時、突然「インクルーシブ教育」と言われても、障害のある子どもたちとどう接すれば良いか分からないのではないでしょうか?
障害があっても学ぶ力を持つ子どもたちが、幼少期から同年代の健常児と一緒に育つことは、大きな意味があるのだと思います。
■子どもの個性を伸ばす特別支援学校
一方で、矛盾するようですが、私は、日本の特別支援学校の教育はとても素晴らしいと思っています。我が家の重症心身障害児の長女は、地域の学校へ行ったとしても、みんなと同じように国語や数学を学ぶことはできません。特別支援学校では、担任の先生がほぼマンツーマンで対応してくださり、その子どもに合った教育を受けることができます。長女にとっての教材は、教科書ではなく、絵本や感触を楽しむおもちゃが多いですが、先生方の働きかけにより、言葉の理解や手の使い方が少しずつ上達しています。特別支援学校は地域の学校に「入れないから」行くところではありません。専門的知識を持って子どもの個性を最大限に伸ばす教育は、地域の学校ではまだまだ受けることは難しいのです。
■ハワイでは通常級と支援学校が同じ建物の中に
ハワイの小学校では、通常学級と特別支援学校(スペシャルクラス)は同じ建物の中にあり、子どもたちが自由に行き来して交流していました。通常の学級に在籍する障害のある児童生徒への支援の在り方を検討する文部科学省の検討会議は、今年3月に特別支援学校と小・中・高校を一体的に運営するモデル事業の創設を求める提言もまとめました。ただ、基本的に日本の特別支援学校は離れた場所にあるので、いきなり建物を替えて共有スペースを持つことはすぐには難しいのかもしれません。でも、その子にとって一番楽しく学ぶことができ将来へつながっていく場所を、本人や家族が選択できるシステムづくりなら目指せると思います。多様性を尊重する時代に合った環境になっていくことを切に願っています。
※AERAオンライン限定記事