ラジオやYouTube番組の企画や人選も自ら進んで携わり、スポンサーも取ってくる。仕事を選ぶ基準は「面白いか」と「応援したいか」。深く共感できる相手には、つい「なんでもやりますよ」と言ってしまう(撮影/植田真紗美)

 国内の大手シンクタンクを経て米ピッツバーグ大学で経営学博士号を取得し、ニューヨーク州立大学でアシスタントプロフェッサーとして従事。国際的な学術誌に論文を多数発表してきた入山は、世界を舞台に学術的バックボーンを磨いてきた“本物”の研究者である。それでいて、相手に緊張感を抱かせない柔らかさを併せ持つ。

 誰に対してもオープンで快活。ガンダム愛やチャーハン愛も語り出したら止まらない。相手が社長だろうと学生だろうと「さん付け」の呼び方で区別せず、「なるほどね」「めちゃめちゃいいっすね」を連呼する。相手の意見を受け入れて、リスペクトを言葉にして表現し、手を叩(たた)いて笑う。おおらかな受容力を放つから、日に日に「私たちも入山先生にこんなお願いができないだろうか」と並ぶ人の列が長くなるのだろう。

 今でこそ社交的に飛び回る入山だが、意外にも子ども時代は内向的だったという。

 東京都調布市に生まれ、「勘と運だけで受かった」東京学芸大学附属大泉小学校へ。低学年までは快活な少年だったが、些細(ささい)な出来事がきっかけで次第に孤立するようになり、将来の夢も長く持てなかった。2キロほどあった通学路をボーッと下を向いて歩く暗い少年。近所の大人たちにはそう覚えられていたという。集団が苦手で、大手塾は1日でやめて家族経営の個人塾に入った。

数カ月前、自分の行動指針について考えて浮かんだ三つの言葉は「自由・自律・自責」だった。1年間のサバティカル(在外研究期間)を終えて、11月からゼミを再開する(撮影/植田真紗美)

世界に通用する仕事を 経営学博士号目指し留学

 中学に入ると野球部に入り、キャプテンを任されたことをきっかけに徐々に性格も外向きに。真面目に勉強すれば模試で全国1位をとるほど成績はよかったが、なんのために勉強するのかという目的は見いだせなかった。

 高校では「マイナースポーツのほうが勝率が高くなる」と転向したハンドボールに打ち込み、見事に都大会上位に進んだが、3年夏のインターハイが終わると燃え尽き症候群に。授業をサボって麻雀(マージャン)に頻繁に通い、気づけば成績は学年最下位に落ち込んだ。あわや留年というところを切り抜け、1浪して慶應義塾大学経済学部へ。しかしながら、試験科目が少ないという消極的な理由で選んだ大学生活では低空飛行を続けていた。

 転機となったのは、3年次の履修説明会で“憧れるべき存在”に出会ったことだった。その人、木村福成(65)は、ウィスコンシン大学で博士号を取得し、ニューヨーク州立大学で教鞭(きょうべん)をとった国際派の経済学者。国際経済学への誘いを英語混じりで語る木村の姿を、シンプルに「かっこいい」と21歳の入山は見つめていた。世界とつながり、世界に通用する仕事に打ち込みたいという目標が芽生えた瞬間だった。

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