――これは、現在進行中の研究ですね?

 そうです。今はトヨタ・モビリティ基金のサポートで研究をしています。神戸アイセンター病院でもドライビングシミュレーターを導入し、西葛西・井上眼科病院に次いで「運転外来」を始めました。自覚していない患者さんに「あなたはここが危ない」といったことを知らせている。非常に好評で、ノウハウもたまってきた。研究の成果として今後、これを全国の眼科に広めたいと考えているところです。

――まさに社会に幅広く貢献する研究成果が出ているわけですね。ある意味、一人の患者さんに高額の費用がかかる再生医療と対照的ですね。

 再生医療はものすごく新しいので、もう医療の仕組みから全部変えないと無理だって1例目をやったときにわかったんですね。こんなん、公的保険で全部できるわけないわって。それにこれは手術なので、外科系の治療であって、薬の開発とは全然違うんです。そこのところを製薬会社の人は理解しない。「大量生産して、製品をなるべくたくさんの人に使ってもらう」というビジネスモデルしか頭にないんですよ。

 もともとは、再生医療をできる場をつくるっていうのが神戸アイセンター構想だったんです。先端的なバイオベンチャーを立ち上げたら、米国だったら数百億円とかの値がつく時期だったので、神戸市と会社のサポートでアイセンターをつくり、そこで製品を売るだけでなく、再生医療を医療として完成させようと思っていた。そのために2012年に会社をつくりました。社長になる方を探してきて、私は取締役になった。

夢が破れたと絶望して

――理研でプロジェクトリーダーを務めていらしたときですね。2012年といえば、山中先生がノーベル賞を受けた年でもある。

 そうですね。網膜の細胞を量産する技術の特許権は、理研と大阪大とその会社が持ち、会社が2年後をめどに治験(国の承認を得るための臨床試験)を進めることになっていた。最初の2年は、一緒に活動していたんですが、そのうち考え方の違いが大きくなってきた。私が再生医療は前人未到の治療だから、いきなり治療法を固定して大量生産する必要もないし、医療として成功させるためには従来の薬と同じやり方をしてもダメだと言っても当時は理解してもらえない。約束したアイセンターはできないし特許も持っていかれるし、夢が壊れたと絶望して3年ぐらい泣いていました。

――え~っ、そうだったんですか。

 1例目の手術をしたのは2014年ですが、利益相反の考え方が古くて会社が思うほど助けてくれなかったから、すごく大変だった。それで泣き暮らしていたけれど、やっぱりアイセンターをつくろう、このままでは死ねない、と2017年にビジョンケアを立ち上げた。それまでにつくっていた患者ケアの公益社団法人NEXT VISION、理研のラボ、そして神戸市に助けていただいて開設した神戸アイセンター病院とビジョンケアが一体となったのが「神戸アイセンター」です。私はまだ理研に在籍していたので、最初は今の財務担当取締役に社長をやってもらい、2年後に理研を辞めてビジョンケアの社長になりました。

勢ぞろいしたビジョンケアグループのメンバー=2022年、兵庫県神戸市の会社近くの公園(ビジョンケア提供)
次のページ
ビジョンケア設立のもう一つの理由