■世紀末に生まれた「女子」という概念

「女子力」「女子会」「◯◯女子」――近年では、「女性」とは別の独特のニュアンスが、「女子」という語に込められています。

 もともと「女子」という言葉は、学校において「男子」と対比的にもちいられていました。運動競技の名称にも、「男性」と「女性」や「男流」と「女流」ではなく、「男子」と「女子」が使われます(「女子マラソン」「男子平泳ぎ決勝」など)。これは、スポーツが教育現場で発達してきた名残です。

 今日のような意味を「女子」が帯び始めたのは、1990年代後半からだといわれます。漫画家の安野モヨ子が、イラスト入りエッセイ『美人画報』(「Voce」で1998年連載開始)で「女子力」について語りました。これが、「女子」という概念を更新する大きな引き金になったようです(注1)。

「女性会」と聞くと、「女の人の集まり」という以上のイメージは浮かばないという人の方が多いでしょう。ところが「女子会」となると、男女混合の催しでは見られない「女性ならではのパワフルさ」がみなぎっている感じを受けます。

 新しい意味での「女子」を、一義的に説明するのは困難です。自分にそなわった「『女の子』に特有のかわいらしさ」を、「私らしい」という理由だけで愛でる存在――いちおう私は、こんな具合に「女子」を理解しています。

「私はモテにも社会的評価にもこだわらない。自分がかわいいと思うものと、それをかわいく感じる自分を肯定する」

 これが「女子」の精神ではないでしょうか。

 かつて、女性が自分に磨きをかける最大の動機は、男性を惹きつけることでした。この状況は、バブル経済崩壊後に一変します。多くの男性が、長びく不況のため、恋愛にお金を使う余力を失ったのです。一方、1985年に男女雇用機会均等法が施行された影響から、高収入の女性が増えはじめます。女性に贅沢を与えられる男性は減り、自力で贅沢のできる女性の層は広がる。異性を魅了することで女性が得られるメリットは激減しました。

 それでも女性たちは、「女らしさ」を研ぎ澄ますことを止めませんでした。「美しくあること」からの撤退は、同性からなめられることにつながります。また、エステやメイクには、自分にしかわからない楽しみ方があります。「モテるため」ではなく「同性から軽んじられないため」、あるいは「自分を満足させるため」――「女らしさ」を洗練させようとする「第一の動機」は、この20年でそんな風にシフトしました(現代女性のファッションやメイクは、ふつうの男性には解読できないほど高度化かつ多様化してきています)。

「女子」は、モテや社会的評価にかかわりなく、「自分らしいかわいらしさ」を追求します。「女らしさ」が「男性ウケ」と密着していた時代なら、こういう「女子」のありかたは表に出てこられなかったでしょう。

■ゼロ年代の小泉今日子は「30代女子」だったのか

 2000年代、いわゆるゼロ年代に入ると、年齢的には「女の子」と言いがたい30代以上の女性に、「女子」的なありかたを提案する雑誌が現れます。代表は、2003年に宝島社が創刊した「InRed」です。この雑誌は、「30代女子」というフレーズをまさに看板に掲げています。

 小泉今日子は、タレントのYouや女性歌手グループのPuffy、女優の永作博美などと並んで、「InRed」の表紙をくり返し飾りました。また、創刊当時から6年にわたって、エッセイも連載しました(それらは『小泉今日子の半径100m』『小泉今日子実行委員会』[共に宝島社]にまとめられています)。

 アイドルとしての小泉今日子が画期的だったのは、同性からの人気が高かった点です(詳しくは、助川幸逸郎「小泉今日子が“女の子”に支持された理由」dot.<ドット>朝日新聞出版 参照)。男の子をターゲットにしない「かわいらしさ」が、アイドル時代の小泉今日子の大きな魅力でした。そんな彼女が、「InRed」の刊行がはじまった2003年には37歳。「30代女子」のライフスタイルを広めようとする雑誌が、小泉今日子に目をつけたのは当然といえるでしょう。

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