安野光雅画伯の少年時代を中心とした思い出エッセイである。89歳の著者の少年時代だから、80年以上前のことも多い。それを覚えている記憶力に驚く。津和野で安野少年は3月20日の苗市の立つ日に生まれた。小学生時代、体育が苦手で運動会ではいつもビリに近かった。勉強も嫌いで好きなのは絵を描くことだった。
仲の良かった弟に学校に行く前から勉強を教え、読み書きできるようにした。その弟に「いいか、うちには地下室がある」と一生の秘密を打ち明けた。弟が本気にすればするほど、話に熱が入った。大嘘でも弟は目をはっきり開いて聞いた。その弟を一度だけぶったことを、今は詫びたい気持ちだという。
安野さんのエッセイはシリトリのようにテンポよく展開する。「文明の利器」の項で、ひのしという柄杓のような形をしたアイロンやだるまストーブなど昔の道具を懐かしむ。自動車、飛行機、コンピューターと文明は進展し生活は激変した。便利はいい。その半面うしなったこともたくさんあると指摘する。書き下ろした絵が20枚以上あって楽しい。
※週刊朝日 2015年5月22日号