明治神宮は彦根藩の下屋敷跡
約70万平方メートルにも及ぶ広大な敷地を有する明治神宮は、旧彦根藩の下屋敷だった。「桜田門外の変」で知られる大老・井伊直弼は彦根藩の大名。井伊家は譜代大名筆頭家格だけあって江戸の各所に屋敷を所有していた。紀尾井町にあるホテルニューオータニもその1つ。彦根藩は桜田門近くに上屋敷、明治神宮に下屋敷、そしてここに中屋敷を持っていた。周辺には徳川御三家の紀伊藩、尾張藩、井伊家の屋敷があったので、各頭文字をとって紀尾井町と名付けられた。
上智大学四谷キャンパスは尾張藩の屋敷跡
ホテルニューオータニに隣接する上智大学四谷キャンパスは、旧尾張藩の屋敷だった。御三家筆頭の家格にあった尾張藩は、江戸城に隣接した現在の四谷から市ヶ谷周辺に広大な土地を所有。上智大のほか、現在の防衛省の敷地と陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地もその一部だった。
東京大学本郷キャンパスは加賀藩の上屋敷跡
東京大学本郷キャンパスも、“加賀百万石”と言われ、外様で最大の石高を誇った加賀藩前田家の上屋敷だった場所だ。東大を象徴する赤門は、前田家当主が将軍家より正室を迎える際に、門を朱に塗ったのが始まり。かつて大名しか通れなかった門は、いまでは世界中の学生たちが行き交う、開かれた場所となった。
新宿御苑は高遠藩主の屋敷跡
花見の名所として有名な新宿御苑は、高遠藩主の内藤家の屋敷があった。高遠藩は長野県伊那市周辺にあるため、国元に帰る甲州街道の入口近くに居を構えていた。ちなみに御苑東に隣接する住所は内藤町といい、ここにも歴史の記憶が残っている。
他にも、東京ドームに程近い緑豊かな日本庭園「小石川後楽園」(旧水戸藩上屋敷)、JR駒込駅近くに広がる「六義園」(旧郡山藩下屋敷)など、観光名所に生まれ変わって一般開放されている場所もある。
こんな「歴史うんちく」を知れば、いつもの東京がちょっと違って見えてくる。
(構成 生活・文化編集部 清永 愛)