
茨城県利根町布川で1967年に男性が殺害された「布川事件」で、杉山卓司さん(故人)とともに強盗殺人罪に問われ、無期懲役確定後に2011年に再審無罪を勝ち取った桜井昌司さんが、8月23日、76歳で亡くなった。筆者は週刊朝日の記者時代から、何度も桜井さんに話を聞いてきただけに、思い出はつきない。
桜井さんは、茨城県警に逮捕された1967年から約3年間、ほぼ毎日、ノートに日記を書き続けていた。留置場での日常、家族への思い、そして警察の嘘だらけの取り調べや不当なでっちあげの真相など、詳細をつづった“獄中ノート”は全17冊に及んだ。
私がそのノートに触れたのは、2011年5月のことだった。
桜井さんから、
「あの日記があったから、無罪をとれた。弁護士の皆さんが無罪をとれる、頑張ろうと発奮してくれたきっかけでもあった」
と聞いた。そこで、桜井さんの冤罪(えんざい)を晴らすために闘っていた弁護団の一人、塚越豊弁護士のところにうかがい、17冊の獄中ノートを見せてもらい、コピーもいただいた。ノートの表紙には「心影」というタイトルが書かれていた。
ノートを読み始めると、震える思いだった。茨城県警のストーリーありきの捜査、何を言ってもまったくとりあわず、絶望の淵に突き落として自白調書を作成していく様子や、奈落の底でもがき苦しみ、悔しさでいっぱいの桜井さんの思いが綴られていた。