同期の女性との隠したデート いまも愛妻弁当

『源流Again』で、鎌倉山にある蕎麦懐石料理「檑(らい)亭」で、遅めの昼食を取った。当時、外国からの客があると、鎌倉の寺社を案内した後に必ずきた店だ。気軽にくることはできなかったが、何かイベントが終わるとみんなと一緒に食事にきた。後輩たちに「仕事は頑張るのではなく、楽しむことだよ」と伝授もした。三十数年ぶりだが、庭からみえる海、遠く望む箱根の山の景色は、同じだ。

 鎌倉時代、1年目は研究所の近くの寮に入り、2年目に研究所と茅ケ崎市の間にあるアパートへ移り、3年目から茅ケ崎市に住んだ。入社が同期で茅ケ崎市の実家から通勤して同じ「機械部屋」にいた女性と、同僚たちに知られないようにデートをして、結婚に至ったからだ。

 ずっと、愛妻弁当を持って出社した。いまも、昼に会食がない日は、愛妻弁当だ。茅ケ崎に8年いて、そこからみる富士山は自分が育った東京に比べて、かなり大きくみえる。鎌倉再訪の合間に茅ケ崎海岸へ寄って、「大きな富士山」を久しぶりに堪能した。

 妻は、94年からの台北勤務についてきてくれた。明るい性格で、自分と違って、すぐに友だちができる。

 長男が小学校の高学年、長女も小学校へいっていたが、次男は幼稚園に入る前。異国での子育てで苦労をかけたが、明るさは変わらない。

 ただ、99年9月21日の未明に起きた台湾大地震では、悲しい思いをさせた。子どもたちはマンションの向かいの部屋の家族が連れて逃げてくれ、夫婦でパスポートなど大事なものを集めて後を追い、全員、けがはなかった。ただ、妻と一緒に集めてきて部屋に飾っていた高級食器が、すべて落ちて壊れてしまい、2人で悲しんだ。

 社長になって7年、会長を兼務して4年、いまいちばん力を入れているのは当然、事業のグローバル化の推進だ。だから、海外出張も増えるだろう。

 でも、もし時間ができたら、妻と2人で国内外を問わずに旅行し、少し違う風景や違う人たちと触れ合う機会を持ちたい。鉄道に乗るのも、もう1人ではない。伴侶は鎌倉時代に得たもう一つの大きな「財産」だ。(ジャーナリスト・街風隆雄)

AERA 2023年8月14-21日合併号