仕事場から大仏の頭の向こうに海がみえた。鎌倉、江の島、茅ケ崎と続く湘南海岸には、思い出がいっぱい。結婚前のデートの店もこの海岸沿いだった(撮影/山中蔵人)
この記事の写真をすべて見る

 日本を代表する企業や組織のトップで活躍する人たちが歩んできた道のり、ビジネスパーソンとしての「源流」を探ります。AERA 2023年8月14-21日合併号では野村総合研究所・此本臣吾会長兼社長が登場し、入社当初に配属された鎌倉市などを訪れました。

【この記事の写真をもっと見る】

*  *  *

 1985年4月に入社し、神奈川県鎌倉市梶原にあった鎌倉研究本部に配属され、企業や官公庁が抱える様々な課題について調査・分析する「リサーチ」の仕事に就いた。社外の多様な人に会って話を聞き、様々な統計と突き合わせ、仮説を立てて検証を重ね、解決策を示す。東大工学部と大学院工学系研究科で機械工学を学び、社名から「研究をするのが仕事」と思って入ったら、全く違う世界だった。

 数カ月で「自分には向いていない」と退職を考えた。でも、心の中の揺れに気づいていた先輩が、自宅に誘って仕事の面白さを聞かせてくれ、一緒に仕事をやってくれた。すると、工学とは別の面白さをみつけ、「退職」の2文字は消えた。

 企業などのトップには、それぞれの歩んだ道がある。振り返れば、その歩みの始まりが、どこかにある。忘れたことはない故郷、一つになって暮らした家族、様々なことを学んだ学校、仕事とは何かを教えてくれた最初の上司、初めて訪れて多様性に触れた外国。それらを、ここでは『源流』と呼ぶ。

 ことし4月、鎌倉研究本部があった梶原の山を、連載の企画で一緒に訪れた。再訪は、約20年前に当時の仲間たちと集まったとき以来だ。いきなり、ウグイスの鳴き声に迎えられた。桜は散って、若い青葉が頭上を覆う。思わず、言った。「ああ、こんなところだった。こんなところで、過ごしていたのだ」

海を望む部屋で夜中まで仕事「不夜城」の名も

 研究本部の建物は閉鎖され、土地とともに市に寄贈して、立ち入り禁止になっている。外観は、当時のまま。豊かな自然に囲まれた環境も、変わっていない。あのころは、リスの姿もみた。いまも、いるのだろうか。モデルにした米国の著名なスタンフォードリサーチ研究所が緑のなかにあったので、ここが建設地に選ばれたらしい。

 研究棟の玄関からガラス越しに中をみると、古い椅子が置いてある。「あそこで客を迎え、応接室がある2階へ上がっていった。懐かしいですねえ」。建物から離れ、4階のエレベーター脇の自分たちの仕事部屋の窓を見上げると、感慨があふれてくる。「機械部屋」。自動車や建設機械など機械産業のリサーチをしていたから、そう呼ばれた。南側の窓から、湘南の海がみえていた。逆に海上の船からは、夜遅くまで窓々に明かりが点いた建物は「不夜城」と呼ばれた、と聞いた。

次のページ