広大なアフリカ大陸のうち25カ国を訪ねてきた、フリーランスライターで武蔵大学非常勤講師の岩崎有一さんが、なかなか伝えられることのないアフリカ諸国のなにげない日常と、アフリカの人々の声を、写真とともに綴ります。
今回は、アフリカ諸国におけるインフラ事情のお話です。
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「冷たい水、冷たい水!」
2013年、私はブルキナファソからトーゴへ向かう長距離バスに揺られていた。国境を超えてトーゴに入り入国手続きを待っていると、冷えた水を袋分けにして売る水売りの声が聞こえてきた。 水売りの他にも、バナナ、菓子、コーラ、落花生、ゆで卵など、様々。頭上に商品を載せた行商人がバスに群がってくる光景は、20年前と何も変わらない。
2003年頃からかそんな光景の中に、ある商品が目立つようになってきた。携帯電話で使用するSIMカード(プリペイド式)だ。これを段ボール紙にずらりと貼り付けて売り歩く男衆の姿が多く見られるようになったのだ。
それらのSIMカードには、電話番号が油性ペンで手書きされており、その場で好きな番号を選ぶことができる。また、近年ではこうしたプリペイド式携帯及びスマートフォンに通話料をチャージするためのスクラッチカードも売られるようになっている。SIMカードを取り替えたり、スクラッチカードを硬貨でこすったりしている姿のように、住所や銀行口座などの個人情報とはいっさい紐づくことなく、電話番号と通話料だけが、切り売りされている光景は、ここトーゴに限らず、アフリカのほとんどの国で見られるようになった。
ネットへのアクセスも、今や一般的なものとなった。けれども個人宅にインターネット回線を敷くことは依然高価なため、都市部だけでなく小規模の街であっても、インターネットカフェを見つけることは容易い。さらに、Wi-Fiを訪問客のために飛ばしているホテルやレストランも多く、客ではない近隣の住民がWi-Fiを使わせてもらうために、自前のノートPCを持っていそいそとやってくる人々の姿を、あちこちで見かけた。
アフリカ諸国では、タバコを一本単位でバラ売りしている。 ほかにも、蚊取り線香、粉石けん、ボトルに入ったウイスキーなど、パッケージされたものをばらして売られている日用品は多い。携帯電話の通信網の整備や携帯電話・スマートフォンの低価格化といったハード面の充実だけでなく、ばら売りに象徴されるような、「使いたいときに使いたい分だけ支払う」考えかたに呼応した料金システムが準備されたことも、携帯電話やスマートフォンのアフリカ各地への普及を後押ししている。
アフリカでは、国境を超えて隣国へ出稼ぎに行くことは珍しくない。交通インフラも郵便事情も日本と比べれば整っていない中、遠く離れた人と、携帯電話やPCを通じて簡単に繋がれるようになったことは、家族や友を強く想う彼らにとって、実に心強い技術革新だったことと思う。
隣国への移動は容易であるいっぽうで、ヨーロッパをはじめ大陸外の他国へ渡ることは、アフリカ諸国の多くの人々にとって容易ではない。渡航費の工面だけでなく、査証(ビザ)取得のハードルが高いからだ。地理的な制約も国籍の制約もなく、多方面からの大量な情報に安価に触れられるインターネットは、自国や世界の情勢を客観的に判断するための、 かけがえのない情報源となっているはずだ。
では、携帯電話やネットがアフリカで普及する前は、彼らのコミュニケーションが著しく困難なものだったかと言えば、そんなこともない。昔から現在まで、マンパワーによる通信網と情報に対するアンテナがしっかりと機能してきた。
まだ携帯電話のなかった時代に、私がトーゴのアベポゾに滞在中のこと。国境を越えてマリに出稼ぎに出たトーゴ人が交通事故にあって亡くなったとの訃報が、固定電話と口承のリレーにより、一日と経たずに出身の村アベポゾ全域にまで届いた。
また、2001年9月11日に起きた米同時多発テロの翌年の3月に、スーダンのダルフールを訪ねていたとき、当時はまだネット環境が整っておらず、新聞も政府発行のものしかないため、外部の情報に触れる機会は極めて限られていた。それでも、私が泊まった宿の主は、その街から一歩も外に出たことがなかったにもかかわらず、滞在者との会話から、流暢な英語と独自の世界観を身につけていた。当時のアメリカが置かれた状況について、彼が詳細に語ってくれたことは、今も忘れられない。
飛躍的に便利になったが、劇的に生活が変わるようなこともない。アフリカ諸国での新しい仕組みの取り入れ方は、概ねハイブリッドだ。街中でロバが引く荷車とトヨタの四駆は、何の違和感もなく共存している。携帯もネットも、前述のような口承文化と共存しながら、アフリカの風景に溶け込んでいる。
先日、これまでほとんど使ってこなかったFacebookのプロフィール写真を更新すると、アフリカの友人たちから、時を置かずして「いいね」が押された。SNSは苦手だったけれど、今更ながら私も、メールだけでなくSNSとのハイブリッドで繋がっていくことにしようと思っている。
岩崎有一(いわさき・ゆういち)
1972年生まれ。大学在学中に、フランスから南アフリカまで陸路縦断の旅をした際、アフリカの多様さと懐の深さに感銘を受ける。卒業後、会社員を経てフリーランスに。2005年より武蔵大学社会学部メディア社会学科非常勤講師。
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