親として、子どもの知能や学校の成績は気になるものだ。そして、賢く感受性豊かな子に育てようと、絵本の読み聞かせをしてあげたり、家庭教師や塾や予備校にお金を出すなどのいろいろな工夫をする。それは自分の遺伝子を受け継いだ子の幸福のために行う、本能的ともいうべきヒト特有の行動だと行動遺伝学研究者・安藤寿康氏は説明する。では、親が心を砕いて子どものために用意するこうした教育的な働きは、どのように結果に結びつくのだろうか。安藤氏の新著『教育は遺伝に勝てるか?』(朝日新書)から一部を抜粋、再編集し、紹介する。
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遺伝と環境を分けて考える
子育ての仕方が学業成績とどの程度関係しているかについては教育心理学や発達心理学、最近では教育社会学や教育経済学の研究者たちが、さまざまな成果を出してきています。たとえば親が子どもの自律性を尊重すること、しつけに厳しすぎないこと、読み聞かせをしてあげることなどが、子どもの学業成績と関係あるという結果が報告されています。
ただこうした研究はえてして親が原因なのか子どもが原因なのかの区別をしにくいという問題があります。親が子どもの自律性を尊重して子ども扱いせず一人前の人間として育てようとしているから子どもの成績がいいのか、子どもの成績がいいから自ずと親も子どもの自律性を尊重できるのかわかりません。さらにこれらの研究が扱っていないのが、まさに「遺伝」です。ひょっとしたら、親の知的で本好きな傾向が子どもに遺伝的に伝わったから、子どもの成績も伸びたのかもしれません。
行動遺伝学はこうした問題に、遺伝と環境の影響を分けて因果関係を示すことができます。
私たちの研究では、パーソナリティや発達障害・精神病理にはほとんどかかわっていない共有環境(親の育て方や家庭環境の違い)が、知能や学業成績には無視できないほどかかわっていることが明らかになりました。。これはとりもなおさず、同じ家庭で育ったきょうだいが、遺伝要因の個人差とは別に、環境の違いからくる影響を受けて、互いに似ているということです。そしてこれがだいたい学力の場合は30%くらいかかわっています。遺伝の50%には及びませんが、それでもかなりの効果量を持っているといえるでしょう。
特に学力の場合は、学校で習う勉強をする環境が家庭で与えられているかどうかが成績を左右します。当たり前のことですが、いくら算数や理科の成績に遺伝の影響が50%もあるからといって、生まれつき掛け算九九やつるかめ算や連立方程式を解けるわけはありませんし、ましてや遺伝子の中にリトマス試験紙が酸性だと赤くなるといった知識が書き込まれているはずはありません。ヒトはそれらを学ぶ環境に置かれたときに、脳の中にそれを理解し問題を解くための何らかの変化を起こします。それを起こしやすい神経ネットワークや神経伝達物質の分泌を、その子どもがもともとどの程度、遺伝的に持ちあわせていたかの違いが、遺伝の影響として算出されるわけです。その前提として、そもそも「それらを学ぶ環境」がどのように、どの程度あったかも影響するのは言うまでもないことです。
安藤 寿康 あんどう・じゅこう
1958年東京都生まれ。慶應義塾大学文学部卒業後、同大学大学院社会学研究科博士課程単位取得退学。慶應義塾大学名誉教授。教育学博士。専門は行動遺伝学、教育心理学、進化教育学。日本における双生児法による研究の第一人者。この方法により、遺伝と環境が認知能力やパーソナリティ、学業成績などに及ぼす影響について研究を続けている。『遺伝子の不都合な真実─すべての能力は遺伝である』(ちくま新書)、『日本人の9割が知らない遺伝の真実』『生まれが9割の世界をどう生きるか─遺伝と環境による不平等な現実を生き抜く処方箋』(いずれもSB新書)、『心はどのように遺伝するか─双生児が語る新しい遺伝観』(講談社ブルーバックス)、『なぜヒトは学ぶのか─教育を生物学的に考える』(講談社現代新書)、『教育の起源を探る─進化と文化の視点から』(ちとせプレス)など多数の著書がある。