「ところが、『ギフテッドとは困難をともなう才能のある子のことだ』と思い込んでいる人は、ギフテッドを天才の意味で使うのは間違いだと主張することがあります。しかし、天才もギフテッドの一種であるので、間違いではありません。いずれにせよ、どちらの側の人たちも自分たちがどういう意味に限定してギフテッドと呼んでいるのかを自覚して、誤解されないようにすべきでしょう」
教室に1~2割ほどいる
さらに松村名誉教授は、こう続けた。
「障害をともなう才能のある子どもの保護者が、『ギフテッド』という言葉を天才的な子どもという意味で使われたら、自分の子がそう誤解されてつらい思いをするので困る、という心情は十分に理解できます。しかし、広い視野で見たら、その人たちの言葉の使い方も同じように偏っているのです」
日本ではギフテッドという用語が偏った意味で使われ、混乱していることから、2021~22年に行われた文部科学省の「特異な才能のある児童生徒の指導・支援」を検討する有識者会議では、「ギフテッド」という言葉を用いないことを決めた。会議のメンバーだった松村名誉教授は、こう語る。
「通常の授業はやさしすぎるとか、教員が教えようとすることがすでにできる、あるいは一芸に秀でているような『特異な才能のある児童生徒』は教室に1~2割ほどいます。例えば、計算や漢字学習、彫刻、ピアノ、体操の才能がある子とか。そういう子どもたちの才能をさらに伸ばしていくのが、いわゆる『ギフテッド教育』です。ですから、それは『天才教育』ではありません」
だからといって、『七色ギフテッド!』に描かれた学校が「天才だらけ」の設定であっても問題はないという。むしろ多彩な才能を子どもどうしが認め合い、先生が応援してくれるような、学校環境の描写に期待を寄せる。
「ただし、KADOKAWAは、今後、刊行する本には『ギフテッド』の意味の断り書きを加えるなど配慮することが望ましいです」
偏った言葉の定義によって、何らかの特性のある子どもたちが生きづらい社会になってしまうことは、避けなければならないだろう。
(AERA dot.編集部・米倉昭仁)