そこで、この6月に『都会の鳥の生態学』(中公新書)を出版したNPO法人自然観察大学学長の唐沢孝一さんに、人とツバメの不思議な関係について伺うことにした。

「実は、人とツバメの親密な関係は、2千年以上にわたって形成された強固な信頼関係に裏打ちされています」と話す。

「ツバメと人との関係が始まったのは、日本に水田稲作が入ってきた縄文時代の晩期、今から3千年~2千年ほど前のこと(諸説あり)。水田にはイネを害する虫がわき、そこに餌を求めたツバメがやってくる。それが両者の出会いでした」

 ツバメは飛んでいる虫を主な食物とする鳥。作物や穀物を食べることはない。水田にわいた害虫を食べるツバメは、農家にとってはありがたい益鳥として映った。

第二厚生館ビルの駐車場には毎年ツバメがやってきていた 平沼さん提供

「ツバメは稲作農家にとって益鳥だったと思います。そしていつしか村の古老たちは、子どもたちに、戒めとして『ツバメに悪さをするとバチが当たるぞ』と。私の出身地の(群馬県)嬬恋村にもそういった言い伝えがありました。水田稲作を通してツバメを大事にする考えが広まったのではないでしょうか」

 一方、ツバメにとっても人間の近くで子育てすることのメリットがあった。

「人間はツバメに危害を加えない。それどころか、人がいるだけで、天敵であるカラスやヘビが近づけない。こうした経験の積み重ねにより、ツバメは、私たち人を天敵から守ってくれる動物と認識するようになったのでしょう」

 さらに唐沢さんはこう続ける。

「高度経済成長期の日本では、大勢の人が地方から都市部へと移住しました。農村で培った人とツバメの関係性が都市部に持ち込まれ広まっていきました」

 このことを唐沢さんが最も実感したのは、鳥仲間と立ち上げた都市鳥研究会で行った東京都心部でのツバメ調査の時だったという。

「東京駅近くの丸の内や大手町、神田などでツバメの巣を探しました。巣のある建物は、オーナーの多くが地方出身者でした。実家が農家で、水田稲作をおこなっていたのです。都会人といっても、そのルーツはツバメを大事にしていた農村だったのです。人はツバメを大切にし、ツバメもまた人を信頼する、という関係が都会でも成り立ちました」

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