そしてこう続ける。

「ツバメ調査を始めた1985年頃、東京駅周辺はツバメのメッカでした。例えば、東京駅前の国鉄本社ビル、東京中央郵便局などでは、沢山のツバメが繁殖していました。近くには皇居のお濠という絶好の餌場があり、繁殖に最適でした。お濠は、ツバメの目には、農村の水田地帯のように見えたにちがいありません。また、神田の印刷会社やタクシー会社などで働く人の多くは地方出身者であり、ツバメを大事にしている人たちでした」

 しかし、90年代頃から都心のツバメを取り巻く環境は厳しさを増してきたという。都市鳥研究会が90年に行った第二回調査では、東京駅周辺のツバメが営巣した建物数が、第一回調査(85年)の44か所から、20か所に激減した。これはバブル経済期に建物の改築・改装が進んだためだという。長年ツバメが巣を作ってきたビルが改築され、巣作りができなくなったというのだ。

「国鉄ビルは日本生命丸の内ビルに、中央郵便局はJPタワーに建て替えられ、ビルの外壁は新建材となりツバメの巣材である泥が付着しません。巣作りができなくなりました」

 さらに、駐車場での人員削減も追い打ちをかけた。

「ツバメはよく都心の駐車場に巣を作っていました。料金所には人がいて、ツバメの巣を見守ってくれていました。ところが、合理化が進み、駐車場は無人化が進みました。人がいないと、天敵であるカラスに襲われてしまいます」

 東京駅周辺だけではなく、都内23区や、唐沢さんが調査対象としている千葉県市川市や成田市の市街地でも、同じように90年代頃からツバメが激減しているという。

 それでは、ツバメはどこにいったのだろうか。そもそも日本に来なくなったのだろうか。唐沢さんは「彼らはそんなにやわではありません。変化する環境に柔軟に適応して新しい営巣地を開拓しました」と話す。

 また、市川市の都心部ではツバメが激減したものの、郊外の新興住宅地や洪水対策の遊水地の建物などでは増加したという。

「それまで繁殖していた駅前などの旧市街地から郊外へ、営巣場所を移転したことが分かってきました」

 また、郊外にできた道の駅や高速道路のサービスエリアでもツバメが増加しているという。

「道の駅の周辺にはツバメの餌場になる水田が広がっています。建物や駐車場は、大勢の人でにぎわっており、天敵であるカラスやヘビなどは接近できません。ツバメは新天地を発見し、移住したことになります」

 そして唐沢さんはこう続ける。

「ツバメは環境の変化に対し、新しい環境を開拓し、適応しながら生き延びています。私たちが想像する以上にたくましく、高い適応力を持っています」

 秋を迎えるとツバメは東南アジアなどの南国へと渡っていく。来年またやって来るのを心待ちにしたい。

唐沢孝一著『都会の鳥の生態学』
唐沢孝一著『都会の鳥の生態学』

(AERAdot.編集部・唐澤俊介)

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唐澤俊介

唐澤俊介

1994年、群馬県生まれ。慶應義塾大学法学部卒。朝日新聞盛岡総局、「週刊朝日」を経て、「AERAdot.」編集部に。二児の父。仕事に育児にとせわしく過ごしています。政治、経済、IT(AIなど)、スポーツ、芸能など、雑多に取材しています。写真は妻が作ってくれたゴリラストラップ。

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