■永瀬正敏は「憧れの人」だった?
1993年、小泉今日子は雑誌「anan」で永瀬正敏と対談します。
小泉今日子はこのとき、「永瀬さんが言ってた、ジョン・カサヴェテスの映画観ました」と話を切り出しています。カサヴェテスは、ハリウッドの大手プロダクションと提携せずに映画を撮る、独立系作家の旗手です。1989年に亡くなったことで再評価が始まり、この対談が行われた当時、世界中の「映画通」の注目を集めていました。
こうしたカサヴェテス・ブームの、日本における担い手のひとりが川勝正幸です。川勝は「サブカル=おしゃれでちょっとマイナーなコンテンツ」全般にくわしく、小泉今日子のブレインでもありました。小泉今日子が「大人のアーティスト」に脱皮する過程で、彼の演じた役割は小さくありません(助川幸逸郎「バブル時代の小泉今日子は過剰に異常だったか(上)」dot.<ドット>朝日新聞出版 参照)。
永瀬正敏は、1987年、ジム・ジャームッシュ監督の『ミステリー・トレイン』に主演しています。ジャームッシュは、カサヴェテスに続く世代の「独立系作家のエース」です。以後、いくつもの海外作品に出演した永瀬は、世界中の監督やプロデューサーと交流しています。
1993年の小泉今日子は、川勝によって「通」の文化の世界に導かれつつありました。そういう彼女にとって、すでにひとかどの「国際映画人」である永瀬正敏は憧れだったはずです。小泉今日子の方からカサヴェテスの話を振ったのは、「その道の先達に仲間と認められたい」という願望の表れでしょう。「私ぐらいの年齢の人って、妙に好きですよ、永瀬さんのこと」と言ったりして、彼女はこの対談で、めずらしく舞いあがり気味です。
小泉今日子と永瀬正敏の交際が始まったのは、それからまもなくでした。2年後の1995年に結婚。披露宴の類いはいっさいやらず、永瀬正敏が撮った二人のプライヴェート写真の展示会が記念に開かれただけでした。展示会の入場料は500円で、集まった金額はすべて、その年に起こった阪神大震災のチャリティーに寄付されました(注1)。
■『風花』で迎えた転機
永瀬正敏をパートナーに得たことで、小泉今日子の「映画人脈」は広がります。永瀬が車を運転し、ジム・ジャームッシュ、ジョニー・デップ、小泉今日子という4人組で、夜の東京を走ったりもしたようです(注2)。
女優として演じる役柄にも、結婚した後に変化がありました。
1998年の『踊る大捜査線 THE MOVIE』では、サイコパスの犯罪者・日向真奈美を「怪演」しています。翌年の『共犯者』でキャスティングされたのは、DV夫に虐待されるパート主婦からマフィアのボスの「共犯者」に転じる聡美です。
この当時、狂気や猟奇性といった「人間性のダークサイド」に、人々の関心が集まっていました。
東西冷戦が終わり、新時代への期待に世界が湧いたのが1990年代初頭です。しかし、「共産圏諸国=アメリカにとっての大敵」を失ったことは、ハリウッドの映画産業にとっては危機でした。「万人が納得する悪役」の設定が難しくなったからです。そこで駆り出されたのが、「幼少期のトラウマのために精神に異常をきたした猟奇殺人者」でした。こうした事情から、『羊たちの沈黙』や『ツイン・ピークス』といったサイコ・スリラーが1990年代に量産されます。その影響は、アメリカ以外の各国にも及びました。
そんなトレンドが生んだ「ダークなキャラクター」に、小泉今日子は立てつづけに挑みました。その姿に関心を持ったのが、「役者にとことん考えさせる」独自の演出で有名な相米慎二監督です。『踊る大捜査線 THE MOVIE』と『共犯者』での小泉今日子の演技について、相米監督はこう言っています。