■別れた理由
9回目の結婚記念日当日、小泉今日子と永瀬正敏は離婚届を出しました。
小泉今日子は、結婚と同時に引退するつもりだったようです(それを止めたのは永瀬正敏でした)。彼女の中には「日本の女はかくあるべし」というイメージがあったので、「妻」となってからは仕事と板ばさみで辛かったとも述べています(注7)。入籍後、1年間ほど活動をセーブしていた期間もありました(注8)。
それでも小泉今日子は、永瀬正敏と並走しながら俳優としてステージを上げていきました。当初は永瀬にしか見えていなかった世界が、彼女の視野にも入りはじめます。
夫婦で働いてどちらも有能なのに、夫は迷いなく職業に没頭、自分だけが「妻であること」と「仕事」の板ばさみになる――多くの女性が、この悩みに直面します。小泉今日子の場合、「映画人」としてパワー・アップするにつれそれが深刻化したはずです。彼女と永瀬のケースでは、そこに二人の資質の問題が加わります。
小泉今日子は「理想がなかったからここまでやって来れた。理想とかあったらそこで燃えつきちゃうし」と語っています(注9)。「遠大な目標」にこだわり過ぎず、「お客の目から見たちょうどよいかっこよさ」を探れるのが、小泉今日子の特徴です(助川幸逸郎「もしもなんてったってアイドルを松田聖子が歌っていたら(中)」dot.<ドット>朝日新聞出版 参照)。苦心して「憧れのあの歌手と同じキイの高音」を出しても、コンサートが盛りあがらなければ何にもなりません。そういう「観客の求めるものと別の方向に突進する悲劇」に陥らないところが、小泉今日子の「強み」です。
これに対し永瀬正敏は、理想をめざしてストイックに役づくりする俳優の典型です。離婚後に小泉今日子から「結婚したての頃なんか、役そのままで帰ってきて、そのたびにいろんな男の人が帰ってくるから大変だったわよ」と叱られたとか。永瀬は「まったく意識していませんでした、すみません」と応じたそうです(注10)。凄まじい集中力で役になりきる反面、目標を追うあまり見えなくなるものもあるタイプと言えます。
「自分とまったく異なる方式で生きているライバル」が身近にいる――これは、かなりやっかいな状況です。羨望、不安、懐疑、その他もろもろの「闇」の感情が湧いてきます。自分の生き方への疑問符を突きつけられた気になるからです。
永瀬正敏との結婚生活ついて、小泉今日子はこう語っています。
<(永瀬は)自ら進んでカメラに魂を差し出している。そこまでやれるのはすごいことだけれど、私自身は決してそんな状態にはならないから、心のどこかでやっかみや憧れやその不器用さに対しての警告や不安もあって、「バカじゃないの?」と思ったりもしました。だから、一緒に住んでいる頃は大変だった。よく心配もしましたね>(注11)
<(永瀬と別れたのは)派手な愛憎劇があったわけじゃなくて、背負っているものに対して、一緒にいることがきつくなってしまったという感じだったから>(注12)
小泉今日子にとって永瀬正敏は、ある時期から「やっかいなライバル」になっていたことがうかがえます。おそらくそんな風に苦しんでいたのは、女性であり、他人の目線を想像する力に富んだ小泉今日子の側だけでしょう。「没入型の男性」である永瀬正敏は、自分と小泉今日子の違いなど気にかけず、まっすぐ演技に向かっていたはずです。
小泉今日子が「映画人」としての才能を開花させるのに、「永瀬くん」が側にいることは不可欠でした。皮肉なことに、そのことが彼女にとっての「永瀬くん」を「憧れ」ではなく「ライバル」という存在に変化させ、二人の「同じ屋根の下に居る幸せ」は終わったのです。