著書『好きなものを食べてやせる食生活』を手にした堀口逸子さん
著書『好きなものを食べてやせる食生活』を手にした堀口逸子さん

 たぶん、そのときの評判が良かったんだと思うんですけど、当時の事務局長から「次は委員でお願いします」と言われた。ただ、国会同意人事なので、事前に漏れるといけないから、「学長を含めて誰にも言ってくれるな」と釘を刺された。それで、誰にも言わないでいたら、決まってから大学が驚いてしまって……。

――えーと、そのときはどこの大学にいらしたんですか?

 母校である長崎大の東京事務所で働いていました。私は生まれも育ちも長崎で、長崎大歯学部に入って歯科医師の資格を取りましたけど、もともと開業するつもりはなく、長崎大の大学院で公衆衛生学を勉強しました。博士号を取得してからは、自治体で働いたり、NPO法人で働いたりして、2001年から順天堂大の助手になりました。

――公募があったんですか?

 いえ、「来ないか」と声をかけていただきました。私は自治体やNPO法人で働いていたときも学会で発表していたし、論文も書いていたんです。東京出張で仲間と集まって飲み会をしていたときに一緒だった順天堂大の教授から、その後に学会で声をかけていただいた。東京に出るチャンスってそうそうないと思ったので、「行きます!」と即答しました。

――どういう学会で発表していたんですか?

 公衆衛生学会とか、健康教育学会、口腔衛生学会などです。自治体というのは長崎県佐世保市ですけど、自治体はいろんな健康データや調査結果を持っている。私がいたNPO 法人は歯科医の集団が予防歯科のために作った組織で、歯科の定期健診に通っている子どもたちのデータを二十何年分蓄積していた。そういうデータを使うと論文が書けるんですよ。佐世保市では部長さんに「これ、論文になるかもしれないから、職員と一緒にやって」と言われて、半分私が職員を指導しながら、職員とディスカッションして論文にしていった。

 だから、「現場のほうがネタがあるじゃん」というのがそのときの感覚なんです。大学の教員になると、もちろん研究費は取れるけれど、調査はお願いベースになるわけです。「協力をお願いします」っていうところから始まる。

 現場はネタがごろごろ転がっているし、逆に言うと、政策も科学をベースにすべきだと私は思っているので、職員がそういう考え方を持つことが、たとえ論文にならなくても大事だろうなと思っているんです。

――それはその通りだと思います。

 かかわった自治体の保健師さんたちには「学会発表はしたほうがいいよ」と言って、よくサポートしていました。具体的には、九州を中心に、東京に来てからは横浜市によくお手伝いに行きました。医師は外の病院に臨床のアルバイトに行くじゃないですか。そのアルバイトが私は調査や企画のお手伝い、という感覚です。

>>【後編:「医学部か東大か」親と意見合わず3年間引きこもりも科学の道へ 女性公衆衛生学者がこだわる「命題」とは】に続く

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