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東京都でIT企業に勤める本多麻子さん(38)。1年前、37歳のときに2回の採卵手術を行い、現在クリニックに計21個の卵子を凍結している。結婚はしていない。
本多さんは今、自身の卵子凍結の経験について、noteを通じて発信している。周囲に卵子凍結の話をすると、男女問わず、高い関心を持って聞いてくれる人が予想以上に多いと感じた。発信は、本名かつ顔を出している。卵子凍結という非常にセンシティブに思える内容なのに、あえて個人を明かして発信するのはなぜなのか、と不躾に問うた。今回の記事も、プライバシーに対する配慮の意味で、「仮名にすることも可能です」と伝えた。すると本多さんは、「いえ、名前と顔を出さない理由がないので」と、こちらが拍子抜けするほどきっぱりと言う。
「今、“産みたい”とは気軽に言えない空気感を、社会に感じます。不妊治療をしていることを言えなかったり、産みたいのに産めないことを恥だと思ってしまっている人もいる。出産に対する厳しい目線が、世の中にあるのだと思います。でも本当は、子どもが欲しいって、もっと自然に思うはずだし、“産みたい”ことをもっとオープンにしたい人だっていると思う。だからこそ、私は名前も顔も出して、“産みたい!”って堂々と言っちゃおうと。結婚もしてないけど、産みたいのは事実だし、もし産めなかったとしてもそれもオープンに言いたい。“産みたい”と言えない社会の中で、オープンに発信していくことが、実は今とても大事なことではないかと思うようになったんです」
卵子凍結を選択した理由は子どもを産む可能性は将来に残したいから。踏み切った大きなきっかけの一つが祖母の死だった。本多さんは4歳のときに、当時34歳だった母親をがんで亡くし、父親と祖父母に育てられてきた。母親代わりだった大好きな祖母。祖父は本多さんが大学生のときに他界し、祖母はそれから一人暮らし。本多さんは社会人になり、実家を出て一人暮らしを始めてからも、しょっちゅう祖母に会いに行き、祖母の晩年の4年間は一緒に暮らしながら、最愛の祖母を看取った。