竹岡圭氏。日本自動車ジャーナリスト(AJAJ)協会副会長も務める
竹岡圭氏。日本自動車ジャーナリスト(AJAJ)協会副会長も務める
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 5月30日に創刊された隔週刊「トミカ 歴代名車 COLLECTION」は、タカラトミーが厳選した歴代名車を、その詳細を解説したマガジンとともにお届けするシリーズ。スポーツカーからはたらく車まで、毎号付いてくるトミカはオリジナルデザインで、これを集めると、唯一無二のトミカ・コレクションが完成する。

【動画】3号に収録される「Toyota 2000GT」の動画はコチラ

 創刊を記念して、マガジン巻末に収録されるリレーコラム「My car, My mini car」をAERAdot.にも配信。「トヨタ 2000GT」を取り上げた6月27日発売の3号のコラムは、モータージャーナリスト・竹岡圭による「語り継がれる伝説のクルマ」だ。

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337台しか生産されなかった、文字通り「幻の名車」トヨタ 2000GT(写真 トヨタ博物館提供)
337台しか生産されなかった、文字通り「幻の名車」トヨタ 2000GT(写真 トヨタ博物館提供)

 日本車で唯一ボンドカーになった、トヨタ 2000GT。「007は二度死ぬ」(1967年公開)という邦題がつけられた、日本を舞台とした007シリーズに登場したことで有名になりました。

 007と言えば、ダニエル・クレイグがジェームズ・ボンドを演じる最後の作品、通算25作目となる「007/ノー・タイム・トゥ・ダイ」が2021年に公開されましたが、そもそもシリーズが始まったのは1962年のこと。この歴史の長さに、世界的人気の高さがうかがえますよね。そんな大ヒット映画の劇用車として選ばれるというのは、当時としても大変名誉なことだったのだと思います。

 ちなみに2000GTは、トヨタにとって当時、いちばんのライバルメーカーだった日産自動車にはあってトヨタ自動車にはないものを埋めるべく開発されたモデルでした。そのないものとは、本格的スポーツカー。つまり、フェアレディに対抗するクルマとして開発が進められ、1967年に世の中に送り出されたのが、本格的スポーツカー、トヨタ 2000GTだったというわけなのです。

 トヨタだけではこのクルマは出来上がらなかったと言われておりまして、事実、ヤマハ発動機との共同開発となり、生産委託も行われ1967年から1970年までトヨタブランドで発売されたスポーツカーとなりました。

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