工藤夕貴(撮影/写真映像部・東川哲也)
工藤夕貴(撮影/写真映像部・東川哲也)

――その結果、どんな自分に変わりましたか?

 心がいろんな囚われから解放されて、フリーになりすぎちゃった(笑)。この前、ある有名なレストランに人を連れて行ったとき、店員さんがすごく感じ悪かったんです。そのとき、ここで私が怒らなくてだれが怒るんだって思って、「ふざけんな!」みたいな感じでがっつり言っちゃったんですよ。

 昔は人の陰に隠れて、「ちょっと言ってくれる?」みたいなタイプだったのに、今じゃ自分で腕まくりして、ケンカしちゃう。「言いたいことあるならかかってこいよ、カモーン!」みたいな(笑)。周りからは、「芸能人なんだからそういうこと言わないでください」とかしょっちゅう言われちゃって、猛犬注意みたいになってるんですけど、やっぱり自分に正直でいたいので。

 あとは、死に対する考え方も変わりましたね。昔は常に死を意識して、心配ばかりしていたんですが、今はその日その日を生きることをなによりも大切にするようになりました。今の楽しい時間が、神様に許されているぶんだけ続けばいいなって。ただ、できれば母親の面倒は見て、ちゃんと恩返ししてから死ねたらいいなと思うんですけど。

――お母様は工藤さんが幼いころに家を出て行かざるを得なくなったそうですが(※前編参照)、親子間の確執はなかったのですか?

 小学生のときは、なんで私たちを置いて出ていったの?って母を恨んでいました。でも6年生くらいになると、仕方なかったんだっていう事情が見えてきて、ママもつらかったんだろうなーって急にかわいそうになって。それに、母自身も、さらに母の母も、すごく複雑な育ち方をしているんですよ。愛情不足で育ったことで、母親の完全愛みたいなものを表現しきれないっていうのが連綿と続いているんですよね。その中にあっても、母は不器用ながら一生懸命に私を育ててくれたんだなって。

 でも、頭ではそうわかっていても、愛情不足っていうのは心の奥に眠っているものなんですよ。自分のなかに広がっているのは、愛情っていう栄養が全然ない畑だから、肥料がほしくて仕方ない作物しか生えてこない状況だった。だから土を変えて、種をまき直したっていう。満たされない部分があるからこそ、紆余(うよ)曲折ありながら、今の自分にたどり着いた歴史があるので、人間はどんな人でも絶対変われると思っています。

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「子どもがいれば……」という後悔はない