工藤夕貴(撮影/写真映像部・東川哲也)
工藤夕貴(撮影/写真映像部・東川哲也)
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 過酷な家庭環境で育ち、「私はそこらへんに落ちている石よりも価値がない」と、若いころは自己肯定感を持つことができなかったという工藤夕貴(52)。30歳手前で体も心もボロボロになったとき、ついに自分を変える決意をする。畑でトラクターを乗りこなしたり、真冬の湖に飛び込んだりと、今ではパワフルな生活を謳歌(おうか)している工藤。彼女はいかにして人生を「再生」したのか。

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【前編】<「非行少女の母」を演じる工藤夕貴が明かした壮絶な幼少期 「子どものころ、家族愛に飢えていた」>より続く

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――29歳のとき、健康不安を抱えて追いつめられたことで「生き方や価値観にパラダイムシフトが起きた」とのことですが、どうやって自分を変えたのですか?

 まず、その人(※映画祭で出会った、ステージIIIの乳がんを患うカナダ人女性。前編参照)が言うように、オーガニックのものを食べて、野菜中心の食生活にしました。それまでは、おなかがいっぱいになればいいって思って食べていた人間だったので、朝はポテチとコーラで、昼はファーストフードのハンバーガーで、夜もフライドチキンとか、めちゃくちゃな食生活でした。

 私、子どものころから1週間に1回は新しい口内炎ができてたんですよ。体質だと思って、当たり前のようにステロイドの薬をつけていたんですけど、食べ物を変えてからは一切できなくなりました。人間の体ってこんなに正直なのかって。ミネラルがきちっと入っている野菜とか、本物の栄養が入っている自然のものを食べてこそ、自分の生命力に変わるんです。あとは運動して汗をかいて、お日様にあたる。やっていることは、本当にベーシックですよね。人間は崇高な生き物ではなく、ただの動物なので、動物として必要最低限のものから離れていくと、体も心もどんどん病んでいくと思います。

 精神面で大きかったのは、ヒプノセラピー(催眠療法)と出会ったことです。眠たいときとか、ちょっとぼーっとしているときには、わざとポジティブなことしか自分に言わないようにする。自己暗示です。そうして少しずつ少しずつ潜在意識を書き換えて、自分を変革していきました。今あるものに感謝して、日々幸せに生きられるようになるまでには15年くらいかかりました。

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大谷百合絵

大谷百合絵

1995年、東京都生まれ。国際基督教大学教養学部卒業。朝日新聞水戸総局で記者のキャリアをスタートした後、「週刊朝日」や「AERA dot.」編集部へ。“雑食系”記者として、身のまわりの「なぜ?」を追いかける。AERA dot.ポッドキャストのMC担当。

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今の自分は「猛犬注意みたいになってる」