そして、最後のステップが、台湾有事の際の台湾への武器提供だ。台湾を見捨てるなという国民世論を高め、それを背景に台湾に武器提供を行う可能性は十分にある。中国との戦争につながる非常に危険な道のりだ。

 だが、それで終わりではない。武器産業の強大化でさらに深刻なことが起きる。それは、国民の多くが、戦争を望むようになることだ。

 米国では、軍需産業が政治を牛耳り、巨大な武器工場が国中に存在する。その労働者たちにとっては軍縮など論外。家族を守るための武器産業の繁栄の方が大事ということになっている。

 欧州も同じだ。米英仏などの有志国連合がシリアを空爆していたころのフランスのニュースを思い出す。フランスの戦闘機「ラファール」が、中東諸国などに数十機単位で大量に売れたため、戦闘機メーカー・ダッソー社の下請けを含めて3000人の雇用が創出され、工場の5年間フル操業が決まった。工場労働者と地元住民がはしゃぐ姿とともに、ラファールがシリア空爆でその威力を証明したことが成約の原動力だったと報じられた。戦争は最高の武器見本市なのだ。

 最近、フランスやドイツのテレビで同様の報道が続いている。冷戦終了後、欧州では武器工場が次々と閉鎖され、多くの失業者が出た。それらの古い工場が、ウクライナ特需で再生した。弾薬工場が復活したフランスのある地方では失業していた男性が雇用されて屈託ない笑顔を見せ、住民も街の景気が良くなると手放しで喜んでいた。

 これが武器産業と戦争の現実だ。

「戦争では敵も味方も失うものばかり」と言われるが、実際には、「正義の衣」を身にまとう「悪魔の軍需産業」が陰で大もうけをしている。だが、本当に怖いのはその先だ。工場で働く一般の労働者もその地域の住民も喜ぶようになるのだ。

 最近、「継戦能力」という言葉をよく聞く。台湾有事に参戦した場合、相手が中国だから長期戦になる。その間の武器弾薬の補給を可能にするには、巨大な武器産業が不可欠だ。巨大な武器産業は大きな政治力を持ち、関連の労働組合も強大になる。全国に武器工場城下町もできる。

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