この3週間強行撮影が、演技にはいい方向に作用した。長編映画の撮影では、1シーンを何度も繰り返し撮影することが多い。完璧を追求するあまり俳優の演技が煮詰まることも多々。本作ではぶっつけ本番により役所さんの泉が湧くようで新鮮かついきいきした演技が見る者の心をとらえることになった。
「脚本のト書きは最小限度だったように思います。その場での演出と脚本に書かれている部分を混ぜ合わせながらの撮影でした。シーンによっては、監督は脚本とは全く違う方向で作られる場合があったので、それはその都度対応しながらの作業でした。いろんなことを想像させてくれるような脚本だったので、自分との違和感はなかったのです」(役所さん)
主人公平山を演じる役所さんの台詞は多くない。平山は、規則正しく自分の決めた生活を日々くりかえす一人の男という設定だ。朝起きてから夜眠りにつくまでカメラで追うことで、自然に彼の人生観や価値観、行きつくところ哲学までを透視する。
「平山の過去は当初僕たちの目の前には出てこなかったんです。僕もプロデュサーもそこが知りたいということで監督にお願いし、一晩で平山の過去を書き上げてもらいました。その時は本当に感動しましたね。美しい。平山は地獄を見た男ですが、その風景が美しかったんです」(同)
脚本は、無駄な説明がなく、詳細のない謎の多い脚本だったという。
「現場に立って平山はどういう男で、どのくらいのお金を使いながら生活しているんだろうか、と自分なりに考えたりしました。他の部分はすべて準備されていたので、そこから平山を引き出していきました。例えば使って切るはさみとか、歯磨き粉とか、そういった細かいものから平山という男が僕のなかに忍び込んできてくれて」
時々は監督からメモのようなものをもらい、特に迷っているときに役に立ったそうだ。平山という男について、役所さんは「うらやましい」と語る。
「僕も共演者の田中泯さんも、平山がうらやましい。平山さんのようになりたいと感じました。彼には物欲が一切なくて、最低限度の生活をして、好きな音楽を聴いたり、毎晩好きな本を読んだりして眠りにつく。うらやましくて、あんな生活がしてみたいと感じました」
一方、ヴェンダース監督は役所の演技をこう語る。