しかし、この疑惑を後追いするマスコミは現れなかった。
「喜多川氏は当時も、死後も、日本のエンターテインメント業界で最も影響力を持つ人物の一人です。『Jポップのゴッドファーザー』といっても過言ではありません。マスコミがなぜ彼を恐れたかというと、明白な理由は、事務所との関係を台無しにしたくなかった、からです。事務所は各メディアに多大な利益をもたらしてきましたから。また、メディアとしては、ジャニーズファンとの関係も壊したくなかったのだと思います」
その点、BBCには同氏や事務所とのしがらみはない。ところが、取材を始めたインマンさんはさまざまな人から忠告を受けた。
「『本当にやるの? やめておいたほうがいいよ』『気をつけなさい』とか。みんなからそう言われて、非常に驚きました。ジャーナリストを含めて誰もがこの問題を追及することを恐れていました」
喜多川氏への愛情
番組を成立させるには被害者たちの証言を集めなければならない。
それについて尋ねると、「とても大変でした」と繰り返し、「これまで私が手がけてきた番組のなかで、最も難しかったものの一つです」と振り返った。
かつて事務所に所属していた元タレントたちに連絡をとり続けたものの、多くの人から証言を断られた。
苦労のかいあって、番組には4人の被害者が登場するのだが、驚いたのは、彼らのほとんどが今も喜多川氏へ強い愛情を持っていると語ったことだ。
「それを聞いたときは衝撃を受けました。私たちは児童性的虐待のセラピストにも話を聞きましたが、彼らが見せた感情は100%本物です。当時、10代だった子どもたちにとって自己防衛反応の一つでしょう。『グルーミング』が行われた状況で、自分の身に起こったことの善悪を判断するのは非常に難しい」
グルーミングというのは性的虐待の前に加害者が被害者を手なずける行為である。
「被害者の子どもたちにとって、喜多川氏は彼らのキャリアを親身に考えてくれるおじいちゃんのような存在でした。愛情ある関係が築かれました。そして、喜多川氏は多くの少年たちにとって初めて性的関係を持った相手となりました。とても混乱し、精神的に深いダメージを受けたと推測されます。でも、彼らの気持ちはとても複雑で、私たちが代弁するのは非常に難しいものでした」
新型コロナの影響で訪日が制限され、さらにとてもデリケートな内容の取材であったため、番組が完成するめどがつくまでに3年を要した。