タレント時代の上岡龍太郎さん=1991年
タレント時代の上岡龍太郎さん=1991年
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 阪神タイガースが大好きで、巧みな話術で笑いを取った元人気タレントの上岡龍太郎(かみおか・りゅうたろう=本名・小林龍太郎)さんが5月19日、大阪市内の病院で肺がんと間質性肺炎のため死去した。81歳だった。記者は昔、上岡さんに声をかけていただく場面が何度かあった。思い出すのは、いつも阪神タイガースの話をする上岡さんだ。

【写真】横山ノックさんの通夜に訪れた時の上岡龍太郎さん

 大阪府知事を務めた横山ノックさんと青芝フックさんとの3人の漫才トリオで人気だった上岡さん。トリオ解散後はノックさんが参院議員となり、上岡さんはお笑いだけでなく、司会業などで幅広く活躍した。

横山ノックさんの通夜に訪れた時の上岡龍太郎さん(中)、「漫画トリオ」で一緒に活躍した元メンバーの青芝フックさん(左)
横山ノックさんの通夜に訪れた時の上岡龍太郎さん(中)、「漫画トリオ」で一緒に活躍した元メンバーの青芝フックさん(左)

 1988年からは、関西のお笑いをテレビを通じて全国に広げた番組「探偵!ナイトスクープ」(朝日放送)の初代局長を務め、上岡さんの代名詞ともなった。

 一方で、上岡さんは、大の阪神ファンであることでも知られていた。

「阪神のオーナー」と自称し、甲子園球場にもよくやってきた。

 大阪在住の筆者が、マスコミの仕事をはじめてまだ間もないころだった。

 上岡さんと甲子園球場で一緒になり、その「解説」を聞かせてもらったことが何度かあった。

 阪神は1985年、バース、掛布、岡田らに代表される強力打線を擁し、21年ぶりのリーグ優勝を果たした。しかし、その後チームは低迷していき、「暗黒時代」が続いた。

 たしか1992年、中村勝広監督時代のときだった。その前年まで2年連続で最下位だったが、この年は新庄剛志(現日本ハム監督)ら若い選手が活躍し、シーズン終盤まで優勝争いをした年で、上岡さんが甲子園球場に来る回数も増えていた。

 シーズン終盤のこと。普段は、自身がコメントを出しているスポーツ紙の座席で試合観戦していた上岡さんが、なんらかの手違いなのか、私がいた(テレビ局がおさえていた)座席にやってきたのだ。

 試合が始まると上岡さんはおもむろに、

「今日の先発はどう思う? あんまりええ球がいってないように思うがな」

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